社説

憲法改正論議/震災便乗のお試し許されぬ

 公布されて70年を迎える憲法に、主権者としてしっかり向き合う覚悟を持ちたい。
 安倍晋三首相が夏の参院選で憲法改正を争点として掲げることに意欲を示している。改憲に前向きな野党とも連携し、憲法改正の国会発議に必要な各議院の総定数の3分の2の確保を目指す考えだ。
 具体的な改憲項目については明言を避けているが「緊急事態条項」の新設を念頭に置いているとみられる。戦争やテロ、内乱や大規模災害などの発生時に政府の権限を強化したり、国会議員の任期延長を可能にしたりする規定だ。
 東日本大震災の初動体制の反省を理由に必要性が語られ、衆院憲法審査会でも議論されてきたが、災害対策が改憲の本当の目的なのだろうか。
 日本では災害緊急事態布告の規定もある災害対策基本法や災害救助法、大規模地震対策特別措置法など「法レベルの緊急事態条項」が整っており、災害時の応急対応は外国の憲法が定める緊急事態条項以上に精緻といわれる。
 であれば、東日本大震災を踏まえて見直すべきは、憲法の「不備」ではなく既存の災害法制を十分活用できなかった運用面ではないのか。
 現憲法では、国政選挙を実施できないほどの大災害が起きても国会議員の任期を延長できず、政治空白的な状況が生まれる懸念がないわけではない。だがそれも参院の緊急集会による立法を認めた憲法規定やその準用で対応は可能との解釈もある。
 何より、災害時の対応に向けて必要な法律を作っておくなど、緊急時を想定した備えを怠らないことこそ重要だ。
 自民党が2012年に公表した憲法改正草案からも読み取れるように、緊急事態が宣言されると国が強大な権限を掌握し、国民は人権や私権の制約を強いられる。政権が緊急事態を名目に独裁政治への道を歩んだ苦い過去がある。教訓を忘れてはならない。
 東日本大震災で被災者支援に当たった各地の弁護士会は「震災対策に名を借りた改憲だ」と、強権政治への危うさを指摘し、一斉に反対声明を出している。災害対策としての実効性と国民が払う代償を冷静に見極めねばならない。
 改憲が党是の自民党にとって本丸は戦争放棄を規定した9条の改正にある。初の改憲発議が国民投票で否決されることがないよう、一見穏やかで比較的理解を得やすい災害やテロ対策で改憲に慣れてもらおうとの狙いなのであれば、国民軽視も甚だしい。
 震災から5年を迎える。津波や原発事故で平穏な生活を奪われた約18万人がいまだ避難生活を強いられ、憲法25条が保障する「健康で文化的な最低限度の生活」すら享受できないでいる。憲法の理念が復興に生かされていない中、震災に乗じる形で「お試し改憲」が語られることを、被災地としては見過ごせない。
 時代の変化に即して憲法を見直すことはあっていい。ただ、憲法発議者には憲法を尊ぶ姿勢が必要だ。個人の権利と自由を保障する、最高法規の精神の堅持は譲れない。ざわめき始めた改憲論議の本質を見定めたい。


2016年01月19日火曜日

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