社説

東日本大震災6年/「自分発」風化に立ち向かう

 午後2時46分、静かに目を閉じれば、あの日のことが浮かんでくるだろう。とてつもなく強い揺れが、経験したこともないほど長く続いた。弱まったかと思ったら、またもや激しく揺れだす。
 自分のことを知らせ、親しい人の様子を知りたいと、多くの人は携帯電話を手にした。時間は要しても、連絡を取り合えた人は幸いだった。それがかなわなかった人がどれほど多かったことか。
 やがて襲った巨大な津波によって、約1万6千人が亡くなった。さらに2500人以上の行方が分からないまま。
 1万8千人を超える犠牲者の何倍もの人たちは、どんなに無事を祈ったことだろう。2011年3月11日から東北の被災地の人々の心は激しく揺さぶられ、今もなお収まっていない。
 東日本大震災の「風化」が、しきりに聞かれるようになった。岩手、宮城、福島3県の被災地の42市町村長に対する河北新報社のアンケートでは、「多少なりとも風化を感じる」という答えが9割に達している。
 震災報道の減少やボランティア事業が少なくなったことに、風化を感じるという。時の経過とともに記憶や関心が薄れていくのは仕方ないことだが、それを自らの努力で食い止めようとしている人も決して少なくない。
 国立民族学博物館(大阪府吹田市)の竹沢尚一郎教授(65)は今、企画展「津波を越えて生きる−大槌町の奮闘の記録」を博物館で開催中。岩手県大槌町で被災した人々の写真などを豊富にそろえ、訪れた人に見てもらっている。
 もともと東北とは縁がない。それでも6年前、「居ても立ってもいられない気持ち」になり、妻と次女の3人で大槌町の支援に赴いた。4月8日のことだった。
 この6年間、ボランティア活動と研究のために何度も大槌町へ行き、企画展開催にこぎ着けた。残念ながら、関西では「もう復興しているんでしょう、といった感じ」と竹沢教授。それでも「大阪にもいつ津波が襲って来るか分からない。だから風化させてならない、と感想を書き残す来訪者もいる」と手応えを感じている。
 栗原市で農業を営む菅原正俊さん(75)とさだ子さん(72)の夫婦にとっては、風化などどこ吹く風。震災後ずっと、軽トラックに野菜を積んで宮城県沿岸部の仮設住宅に無償で届けてきた。
 「世の中は少しずつ忘れていく気配ですが、私たちはまだまだ前向き」とさだ子さん。昨年暮れまで延べ951カ所に宅配した。年明け後は冬休みだったが、そろそろ再開する。通算1000カ所も間近になっている。
 津波と福島第1原発事故が重なった福島県には、真っ正面からの「異議申し立て」で風化に抗しようとする人たちがいる。
 散り散りになった避難者で組織する「原発事故被害者・相双(そうそう)の会」のメンバーは「3年後の東京五輪までに国は避難指示をほとんど全て解除し、表面的にはまるで何もなかったかのように思わせたいのではないか」と危ぶむ。
 「政策的な風化」とでも呼ぶべき状況になりかねないが、損害賠償を求める裁判で東京電力や国の責任を追及していく。原告団に加わった相双の会のメンバーは「ことしは各地で判決を迎えるはず」と司法判断を待っている。
 風化は嘆かわしいとしても、押しとどめることができないわけでもない。諦めず、確かな意志と行動によって。巨大な悲しみに包まれた一つの時代に居合わせ、痛切な思いを共有する一人一人がその当事者になることができる。


2017年03月11日土曜日


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