河北新報特集紙面2012

2013年3月5日 河北新報掲載 エンディング特集 <前編>

「今、わたしたちにできることは?」その問いかけから始まった。「今できることプロジェクト」

今、わたしたちにできることはなんだろう。一人ひとりが自分にできることを考え、
無理しないで続けること、一つひとつは小さな支援でも、
積み重なり、長い時間継続すれば、それはとても大きな力となります。
さまざまな支援の方法やスタイルを探しながら、ひとりでも多くの人のアクションにつながれば…。
そんな想いで、2012年9月「今できることプロジェクト」がスタートしました。
新聞連載では、支援を行っている人、支援を受ける人、その両者の生の声をていねいにひろいあげ、
「そんな支援もあるんだ」という気づきのヒントをメッセージしました。

伝えることで、きっとまた始まることもある。そんな想いでプロジェクトが立ち上がった。
参加者の声
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※年齢は紙面で掲載した時点の年齢です。

支援を行う人、支援を受けた人。その想いの輪を多くの人に広げたかった。

自分の目で見て、聞いて、わかった 賛同企業と、一般読者と、5回の被災地バスツアーを実施

被災地の人はどう困っているのか。現地の人に直接話を聞いた。

名取市の野菜工場では、ホウレンソウ、レタス、ハーブなどを津波による塩害を受けない水耕栽培で生産

津波で壊滅的な被害を受けた名取市閖上地区は、今後の街づくりについて住民の意向はさまざまだ

津波被害を受けた宮城県亘理町では、特産のイチゴの農地再生が進む

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「今できることプロジェクト」では、活動の骨格として、被災地を自分たちの目で見て、現地の人から直接話を聞いてみることがスタートラインだという考えをもっていました。行って、初めて気づくことがある。被災地を訪ねることで、わかりあえることがある。そんな気持ちで、実施したのが「被災地視察バスツアー」でした。
視察先は、どこを見たらいいのか、なぜそこを見なければいけないのか、誰に話を聞けばいいのか。さまざまな情報を集めて、ミーティングを重ね、プランを組み立て、プロジェクトの賛同企業とともに被災地を訪ねました。 沿岸の多くの地域で、なかなか復旧・復興が進まず、今後の街づくりについて住民の意見も割れていること。地元を離れる人が後を絶たず、仮設商店街を出て本設の商店街をつくれるか見通せないこと。漁師たちが風評被害で地元の魚が売れず、がれき撤去などの仕事で日々を過ごしていたこと…。多くの課題・難問が立ちはだかっていることを知らされました。
一方で、どの地域でも、困難に屈することなく、さまざまな人と力を合わせて打開策を見つけ、先頭をきって走る頼もしいリーダーたちがいることも知りました。 参加者の皆さんは、被災地の復興支援について真摯に向き合い、自分事として考えようとしていました。訪問先での講演や現地の方の話にも、多くの質問が飛び交い、疲れを感じているはずの帰路車中でも、今までの認識についての反省、具体的な活動の提案など、熱心に語っていただきました。
この被災地視察バスツアーについては、河北新報紙面に連載し、「今できること」特設サイトでも紹介しました。

現地の人は、いっしょうけんめい たくさん話してくれた。

打ち上げられたままになっている第18共徳丸。震災遺構として残すか、解体撤去するのか、地元では今も揺れ動いている

漁船やカキの養殖棚の多くを失ったと説明する宮城県漁協唐桑支所畠中政則さん

気仙沼の市街は、地盤沈下のため、土地をかさ上げしなければいけない

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被災地視察バスツアー・レポートの掲載を続けていた中で、一般の読者も参加できないのか、という声が聞かれるようになりました。そこで、実際に被災地に足を運んで、被災地の人に話を聞いてみることが大切という、プロジェクトの趣旨を、一般の方にも体験していただきたいと考え、気仙沼を訪れるツアーを企画しました。300名を超える応募があり、60名の定員を70名に増やし、バス2台による実施となりました。
参加者の中には、泥かきやガレキの片づけに何回も出かけた人がいました。石巻までは行ったことがあるが、気仙沼にはまだ行ってなかったという人がいました。何かしたい、何かしたいと思っていても、実際にどうしたらいいかわからなかった、という方もいました。しかし、それぞれ一様に「実際に現地を訪ねて、自分の目で確かめてみたい」という強い動機が感じられました。
訪れた唐桑では、「壊滅的な被害を受けたものの広島から養殖棚の提供を受けるなどして、震災後の5月にはわずかだが養殖を再開できた。こうして今あるのは多くの人に支援していただいたおかげ」と、漁協のリーダーが語っていました。気仙沼鹿折地区では全長330メートルの大型漁船が海岸から1キロ近くある交差点に打ち上げられたままになっていました。かつてその近くで寿司店を営んでいたボランティアガイドさんは、気仙沼湾が地獄絵図だったことを聞かせてくれました。 話をしてくれた人たちは、「皆さん来てくれてありがとう」と、たくさんの話を聞かせてくれました。ひとことも復興の遅れへの不満を表すことなく、ただ自分たちの力をふりしぼって戦っている姿に感激しました。

想いに賛同した多くの企業の協力で実現したプロジェクト。

「今できることプロジェクト」を開始するにあたって、51社の企業の協力を得ました。これらの企業は、日頃の事業活動においても地域への貢献や、CSR活動への取り組みについて実績があり、被災地支援・復興支援についても、高い関心を示していただきました。プロジェクトの一環として実施した「被災地視察バスツアー」においても多くの企業の社員に参加していただきました。これらの企業の協力なくしては、「今できることプロジェクト」の展開は実現できませんでした。