よりよい社会へ 問いかけ続ける

第29回新聞記事コンクール(河北新報社主催、東北6県教育委員会・仙台市教育委員会後援)の入賞作品が決まった。東北の小学生、中学生、高校生が、身近な出来事を調べたり、社会問題への考えをまとめたりし、計1914点を寄せた。多様性や生成AI(人工知能)、ロシアのウクライナ侵攻といったテーマが目立った。最高賞の河北新報社賞、主要な賞に選ばれた作品を紹介する。(表記を一部直しています)

河北新報社賞

伝統野菜「河北セリ」について

石巻市大谷地小4年 高橋遼真(たかはし・はるま)さん

 ぼくのじっちはセリ農家です。冬になると忙しくて、夜中に起きて遅くまで働いています。ぼくもセリの入った箱を車の荷台に運ぶ仕事を手伝います。セリの時期になると、テレビや新聞でよくセリの特集を見るようになります。セリは有名なのか、歴史について調べてみようと思いました。

 河北セリは江戸時代から300年の歴史があり、飯野川在来という品種を今でも栽培しています。セリの収穫は、春と冬の2回行われます。春は飯野川在来種で、根っこは食べず、茎のみ。冬は飯野川在来と島根みどりを交ぜた品種で、根っこから収穫して食べるそうです。

 昔ながらの栽培をしている伝統野菜の河北セリは、2020年12月に「地理的表示保護制度(GI)」に登録されました。伝統的な生産方法や気候、風土などの生産地の特性が、品質の特性に結び付いている産品の名称を知的財産として登録して保護する制度です。宮城県内の野菜では、初めて登録されました。じっちの出荷する箱にもGIシールが貼られています。

 セリの歴史を調べたので、次は生産者のじっちに取材をしてみました。まず大変なところを聞くと「冬は寒くて田んぼの水が冷たいから、収穫するのが大変なんだよ」と教えてくれました。うれしいことは「はるちゃんたちが手伝いに来てくれること」と教えてくれました。

 最後にじっちのやりがいを聞くと「大変な思いをして作ってるセリを、シャキシャキしておいしいねと言われることが力にもなるし、やりがいを感じるな」と言っていました。

 ぼくは、セリの歴史を調べたり生産者のじっちに取材したりして、江戸時代からの歴史があることを知りました。GI登録された県内や全国でも有名なセリを作っているじっちはすごいと思いました。

 今年の冬は、もっとセリの箱運びを頑張りたいです。

荒美咲さん

伝統野菜「河北セリ」について

 冬になると、祖父が作った河北セリを鍋いっぱいに入れて、よく食べます。少し苦いけれど、とてもおいしくて、大好きです。

 1年生の頃から、放課後や土日に近くに住む祖父宅に行き、作業する様子を近くで見てきました。12月になると収穫が忙しくなるので手伝います。袋詰めされた河北セリを30束ほど入れた段ボールを、軽トラックの荷台まで運ぶ仕事です。

 段ボールには、太陽と富士山を合わせたような「GI」と描かれたシールが貼ってあります。このマークは何だろうとずっと気になっていたので、調べてみようと思いました。

 インターネットで調べたり、祖父に聞いたりして、河北セリが300年も続く伝統野菜であることを初めて知りました。育てる水がおいしいから、いいものができることも学びました。

 祖父は「冷たい水の中に入って収穫するのが大変」と言っていました。毎年大変な作業をする祖父は、すごいです。「手伝ってくれるとうれしい」とも言っていたので、今まで以上に手伝っていきたいです。

 自分の作品を読んで、友だちやいろんな人たちが河北セリを知ってくれればいいなと思います。祖父が一生懸命作った「本物の味」を味わってほしいです。

 新聞は難しい字が多くて、あまり読んでいませんでした。でも、セリの記事が載っているかもしれないので、これからはめくっていきたいです。

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論説委員長賞

多様性のあり方

宮城県小牛田農林高3年 伊藤茉里香(いとう・まりか)さん

 中学校の頃、道徳の時間に性の多様性について考えることがあった。

 題は「もし自分の身近な人に性的マイノリティーであるとカミングアウトされたら何と言うか」というものだった。クラスの中では、「話してくれてありがとう」や「そうだったの」といった、相手を受け入れる言葉が多かった。私もその一人であったし、こうしたマイノリティーを受け入れることが、多様性を求める社会の姿であると思っていた。

 しかし、その中で一人が「その場では何も言わないけど、その後縁を切ります」と発言した。その理由は、どうしても不快に感じてしまい、近くにいられなくなってしまうからだという。私は衝撃を受けた。そしてこういったマイノリティーを受け入れ難いという意見も同時に受け入れることが、多様性を求める社会の理想なのではないかと思った。

 だが、やはり差別やいじめは嫌悪の感情から始まることが多いため、その理想に近づくのはなかなか難しい。また、自分の許せないという思いを相手に押し付け傷つける行為ではなく、何かを受け入れないことを悪だと思う人も多くいる。

 そのため、必要なのは相手の意見とその理由を否定せず、尊重し合うことだと思う。

 しかし、急に尊重といわれても難しい。そこで私たちにできることは、いろいろな情報を手に入れることだ。自分が知らないところで誰かを傷つけないためにも、たくさんの知識を身につけ、周りには自分と違った意見や考えを持つ人がいることを自覚することが大切である。

 多様性が認められる社会になれば、今身近にいる誰かの苦しい思いや肩身の狭い思いが解消されるかもしれない。そう考えると、社会問題である「多様性」もひとごとではなく捉えられそうだ。

 私は、多様性が正しい意味で広まることで、互いに否定せず、尊重し合える社会になるよう願っている。

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論説委員長賞

「普通」は一つじゃない

宮城学院中2年 伊藤優希(いとう・ゆうき)さん

 「バービー人形」。テレビから懐かしいワードが聞こえてきて、思わず手を止めた。バービー人形はアメリカの玩具メーカー、マテル社が1959年から販売している着せ替え人形である。私も小さい頃には習慣のようにそういった人形で遊んでいた。

 だが、そのニュース番組で紹介されていたバービー人形は、私が幼少期に見ていた姿と全く違う。体つきはふっくら。身長はさほど高くなくて、手足が短く、小柄に近い体形だ。私の中でバービーは手足が細長く、スリムな体をしている女性というイメージがあったので驚いた。

 その人形は、「ダウン症のバービー人形」だった。体形の他にもアーモンド形の目や丸みを帯びた顔の輪郭など、全てダウン症の人の特徴とのことだ。

 このバービー人形を見たとき、子供たちはどう感じるのだろう。私にはとても斬新で革新的に思えるが、それはあくまで私がモデルのような体形のバービー人形を見慣れてしまっているだけである。

 「普通」のベクトルは人によって異なる。十人十色という言葉があるように、バービー人形もさまざまな見た目、個性があってもいいのではないかと気付かされた。

 マテル社は「すべての子供たちがバービー人形と自分を重ね合わせられるように」という思いからこのような人形を発表したらしい。近い未来、多種多様なバービー人形が店頭に並び、たくさんの子供たちが性別や国籍、肌の色などにとらわれずに自分にとっての「普通」を選べるようになるかもしれない。

 私たちが目指すべき社会はそれではないかと思う。多様性を認めよう、個性を尊重しようといったスローガンではなく、もっと具体的な選択肢を提示するべきだ。

 「普通」は一つじゃない。私がダウン症のバービー人形から感じ取ったことを今度は私なりの形で示していこうと思う。

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論説委員長賞

復興について-震災を知らない私が思うこと-

宮教大付属小6年 大友瑛葉(おおとも・あきは)さん

 東日本大震災の1年後に私は生まれた。当時の記事や写真、動画など、私なりの方法で震災に関する知識を集めたけれど、それらは誰かの意図という分厚いガラスを隔てた情報のようで、私は触れた感覚が乏しかった。「被災地の今に触れ、復興とはどういうことか知りたい」。そう思い、私は津波被害を受けた藤塚地区に震災後作られた商業施設「アクアイグニス仙台」へ行き、直接話を伺うことにした。

 名取川北側の沿岸部に位置する藤塚地区。震災前は屋敷林「居久根」のある住宅が多くみられ、緑の豊かな美しい地域だった。しかし、津波によって多くが失われてしまった。

 震災時は築堤工事、震災後はがれき撤去工事を請け負った深松組社長は縁を強く感じ、「津波により何もなくなってしまった藤塚地区の風景」を目前に湧き上がった思いを原動力にして、復興へのアクションを起こしたそうだ。

 伺った話の中で一番印象深かったのは、施設を分断するように中央を走る道路は、かつての住人の方々から「この土地で生きてきた証しとして残してほしい」との強い要望を受け、意識的に元々あった市道を残したということだ。自分の意思ではなく、思い出の詰まった場所や先祖代々守ってきた土地を手放さなければならなかった人々のささやかだけれども強い思いに、私ははっとした。

 整地された土地に立派な施設を建ててすてきな新しい街をつくる。それが皆幸せになる復興と思っていた。でも、それは被災者をないがしろにした、ある一部だけの復興ではないか。

 復興は力のある者が一方的に進めるものではない。その土地に根を張り生きてきた人たちのさまざまな想いをくみ取って寄り添い、対話をする。美しいふるさとにするために、熱い信念を持って共に進めることではないだろうか。その気付きは私の胸に火をともした。

 私は震災を体験していない。だが、いろいろな立場の人と同じテーブルで語り合い、進むべき復興の道をこれから探していきたいと思う。

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編集局長賞

教師を目指す子供たちのための活動を増やそう

宮城県泉高2年 渋谷明里(しばた・あかり)さん

 「文部科学省は、就職して教員になった人が受けた日本学生支援機構からの奨学金の返済を免除や軽減する方針を固めた」という記事を見た。

 この取り組みは今後、教員を目指す若者の後押しとなり、日本の教育に良い影響を与えると考えられる。しかし、この背景には精神疾患で離職した教員数が過去最多であったことなど、教員不足が深刻化する状況に強い危機感が感じられる。

 私は小さい頃から「先生」という存在に憧れを持っていた。それは先生一人一人が作り出すクラスの雰囲気や空間が好きだったからだ。だから、自然と将来は教師になりたいと思うようになり、今もその夢は変わっていない。でも、最近目にする教師に関するニュースのほとんどは暗いものばかりで、本当に教員を目指してよいのか不安になることがある。

 そのような不安を抱えながら、先日私は「教師を志す高校生支援事業」に参加した。そこでは、教師を目指して勉強している現役大学生や教員として働く方々のお話を聞くことができた。

 教員として働く方々が口をそろえておっしゃっていたのは、「教師はブラックだと言われるが、その分やりがいが多い仕事。子供たちの成長を間近で見ることができ、大きな分岐点に立ち会うことができる」。私はこの言葉を聞いてワクワクする気持ちになれた。

 いつの間にか、教師の大変なところばかり見てしまっていたが、子供の成長に関わることができる教師の本質の部分に改めて気付くことができた。

 次の世代を担う子供たちを育成する土台となるのは、今までもこれからも「教育」である。だからこそ、教師は必要不可欠な存在であり、教師を志す子供にとってメリットのある活動を今以上に増やすべきである。

 そうすることにより、教師に対してプラスなイメージを持つ子供たちが増え、働き方改革に教師一人一人が向き合える環境づくりへとつながるはずだ。未来の教育のためにできることを、考え続けたい。

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編集局長賞

鳥の目と虫の目を

岩沼市岩沼中3年 小山明桜(こやま・みお)さん

 新千円札の裏面には、あの迫力のある波の絵である「神奈川沖浪裏」が描かれる。作者は葛飾北斎。北斎は絵に関しては情熱的だったが、一方で生活に関してはだらしなかったそうだ。また、来客があっても、絵を描き終えるまで無視していたともいう。

 北斎は、鳥瞰図(ちょうかんず)という未知の分野にも挑戦したらしい。ドローンもない時代に鳥瞰図を描くことができた北斎は、鳥の目と虫の目を持っていたのである。鳥の目とは、全体の姿をつかむために空高く飛ぶ鳥のような目のこと。虫の目とは、細部の把握のために、地をはう小さな虫のような目のこと。

 この二つの目について、私が出場した卓球大会の試合で考えてみた。鳥の目は、友達が試合をしているのをギャラリーから見ているとき、虫の目は、対戦をしているときである。上から見ていると、打ったコースや球筋がよく見える。だから、あっちに打てばよかったな、今のボールはチャンスだったのになと気付くことができた。

 だが、実際に自分が試合をしていると、コースを読んだり、チャンスをうかがったりすることは難しい。だから、自分の目で見ているにもかかわらず、鳥のように上から全体を見ることもできた北斎はすごい。

 一方、戦っている相手の打ち方をよく観察していると、相手が取りにくそうなコースが見えてくる。さらに、ボールの回転や相手のラケットの角度もよく分かる。私は、虫の目はまずまずだが、鳥の目ができていない。

 では、どうすれば北斎のような鳥の目を持てるだろうか。鳥の目を養うためには、たくさん試合を上から見て、いろいろな人の試合運びやコースの選び方を研究すればよいのではないか。

 全体を捉える鳥の目と細かいことを捉える虫の目の両方を持っていたからこそ、北斎はすばらしい作品をたくさん生むことができたのである。私も何か問題に直面したときのために、全体と細部の両面を見る目を養っていきたい、と心から思う。

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編集局長賞

わたしが学校を休まないわけ

宮教大付属小2年 柴田沙羅(しばた・さら)さん

 わたしは、「かいきんしょう、はい止」という新聞記じを見て、とてもざんねんな気もちになりました。

 なぜなら、1年生の1年間、休まず学校にかよったからです。それには、体力をつけるためにスイミングをはじめて、冬は手あらいうがいをこまめにして、朝ごはんをもりもり食べて、つかれた時は早くおふろに入ってねるようにどりょくしました。

 学校からのかいきんしょうはなかったけれど、ふあんだった小学校で1年休まず行けて自しんがついたし、りっぱな2年生になれる気がしました。それに、家ぞくが「がんばったね」とほめてくれたし、お母さんがわたしのどりょくをしっていてくれているから、しょうがなくてもだいじょうぶです。

 わたしのお友だちは、学校に行くのがちょっとにが手です。お母さんといっしょに学校に行き、行けないときはお休みしながら行っています。サボっているわけではありません。

 わたしは、たまたまたのしくかよえているけれど、そうじゃない人もたくさんいます。わたしも、ならいごとで休みたくなることがあって気もちがわかります。ちょっと休むとまたがんばる気もちがもどってくるので、お友だちにも休んでいいんだよってつたえたいです。

 記じには「りょ行をりゆうに学校休む…さんせいが65%」とありました。

 はじめは学校を休んでりょ行にいくのはさい高だって思ったけれど、じっくり考えたら、みんなが学校に行っているのにお休みして行くのは、わたしはすっきりとたのしめないな…と思いました。

 学校がある日はがんばってかよい、そのごほうびにりょ行に行くのが、わたしはなんばいにもたのしさがふえます。

 平日の方が、お母さんのおしごとはいそがしくないし、おとくで行けて、こんでなさそうですが、わたしはことしもお休みしないようにがんばって学校に行きたいです。

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防災・教育室長賞

あれから12年

宮城県名取北高3年 小野亮馬(おの・りょうま)さん

 東日本大震災から12年。当時5歳だった私だが、今でも鮮明に覚えている。私は今、たくさんの奇跡があったからこそ今を生きている。

 地震発生時、私は保育所に行っていた。早めに仕事が終わった母親が私を迎えに行こうと思ったらしい。しかし、体調が良くなかったため、一度家に帰った。

この選択が私と母親を津波から守った。

 地震が起きてすぐに、私は保育所の先生の車に乗せられ、近くの小学校に避難した。母親が保育所に来た時、すでに私は小学校に避難しており、逃げ遅れた子供たちと先生を車に乗せて母親も小学校に避難した。もしあの時、母親が迎えに来ていたら、私たちは公民館に避難していた。

 その公民館は2階まで津波にのみ込まれ、避難者全員が亡くなった。母親の体調と、母が先に私を迎えに来なかったことで、私は今も生きている。本当に奇跡だと思った。

 屋上に避難した私は悲惨な光景を見た。水に流される人、車の屋根によじ登って私たちに助けを求める人、その人たちはどうなったのか、私には分からない。少しでも避難が遅れれば、私もそうなっていたかもしれない。生と死のはざまにいたかのような経験をし、生き残った私だからこそ、私にしかできないことがあるのではないかと日々思う。

 私は、これを風化させないために、防災対策や訓練をするのはもちろんのこと、自分で判断し、行動できる力を身につけることが重要だと考える。自分の命、家族の命を守るのは自分自身である。

 自ら考え、情報を整理し、臨機応変に対応できるようになる。これが重要だ。学校の訓練で、教師がわざと訓練のことを伝えずに訓練を行う。そのようなイレギュラーな要素を取り入れることで、そのような力が身に付くと考える。

 災害は一瞬で私たちの命を奪ってしまう。どれだけ本番を想定して準備をし、伝えていくか。それが生き残った私の使命だと胸に刻んでいる。

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優秀賞/佳作/優秀学校賞/学校賞 (敬称略)

優秀賞

熊谷 煌

聖ドミニコ学院小(宮城)5年

優秀賞

神谷宗之介

宮城教育大付属小6年

優秀賞

大友実紗

宮城教育大付属小4年

優秀賞

安本遙

宮城教育大付属小6年

優秀賞

小関義恭

白石市白石一小6年

優秀賞

武山あい

石巻市大谷地小4年

優秀賞

太田翔

石巻市大谷地小4年

優秀賞

佐藤弥里

女川町女川小(宮城)5年

優秀賞

立古愛和

仙台市桂小6年

優秀賞

斎藤玲汰

加美町鳴瀬小(宮城)2年

優秀賞

山下遼大

仙台市郡山中3年

優秀賞

遠藤晴杜

宮城県仙台二華中1年

優秀賞

山口心々

宮城県仙台二華中1年

優秀賞

飯牟礼たまき

宮城県古川黎明中2年

優秀賞

早川花那

宮城県古川黎明中3年

優秀賞

木村理麻

宮城学院中1年

優秀賞

三上小春

青森市西中2年

優秀賞

上田啓太

塩釜市第二中1年

優秀賞

川口莉歩

石巻市石巻中3年

優秀賞

赤松紗実

岩手大教育学部付属中1年

優秀賞

阿部真帆

宮城県小牛田農林高3年

優秀賞

都築玲奈

宮城県小牛田農林高3年

優秀賞

小野寺愛來

尚絅学院高(宮城)2年

優秀賞

吉谷洋香

尚絅学院高(宮城)3年

優秀賞

庄子結衣

尚絅学院高(宮城)3年

優秀賞

高木遥菜

尚絅学院高(宮城)3年

優秀賞

守法遥奈

山形県霞城学園高定時制の課程4年

優秀賞

石田さくら

宮城県泉高2年

優秀賞

岡崎諒太

宮城県泉高2年

優秀賞

八巻美々

宮城県名取北高3年

佳作

福島萌華

川崎町川崎小(宮城)6年

佳作

大友絵理

古川黎明中3年

佳作

安斎由菜

宮城学院中1年

佳作

土岐菜々美

尚絅学院高2年

優秀学校賞

宮城学院中

優秀学校賞

泉高

学校賞

大谷地小

学校賞

古川黎明中

学校賞

青森市西中

学校賞

尚絅学院高

学校賞

名取北高

学校賞

小牛田農林高

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講評

「なぜ」を出発点に

審査委員長 河北新報社論説委員長 古田耕一

 新聞記事には中心となる六つの要素があります。

 いつ/どこで/だれが/なにを/なぜ/どのように

 皆さんには特に「なぜ」を大切にしてほしい。疑問が新たな世界への入り口になると思うからです。

 河北新報社賞の「伝統野菜『河北セリ』について」は文句なしに面白い作品です。「じっち」の作るセリは有名なのか? そこを出発点に歴史や特徴、価値の高さなどを調べました。

 「田んぼの水が冷たい」「シャキシャキしておいしいねと言われることが力にもなる」。じっちの言葉が生産者の苦労と誇りを見事に伝えます。審査員の一人は「家族の情愛も感じる」と笑顔になっていました。

 中高生の論説委員長賞は共に多様性がテーマで、「『普通』は一つじゃない」はダウン症のバービー人形、「多様性のあり方」は性的マイノリティーを拒否する発言への驚きと疑問から論を展開しました。迷いながらも自分なりの答えを探す姿勢が評価できます。

 小学生の同賞は、東日本大震災後に生まれた6年生が「復興とはどういうことか」と被災地を訪れます。「その土地に根を張り生きてきた人たちのさまざまな想い」が大切-。感性の鋭さに驚きました。

 防災・教育室長賞は震災で生死のはざまを体験した高校生の作品。「命を守るのは自分自身」「生き残った私の使命」。強い言葉です。

 編集局長賞3作品はいずれも自らの問題意識を掘り下げています。「鳥の目と虫の目を」は着眼点が光る。他の2作品は目標や夢に向かう決意が伝わります。

 全体を通して気になったのは段落替え(改行)の少ない作品が目立つことです。読みづらく、論旨が伝わりにくくなります。改行によって「この段落ではこのことを書く」と頭の中も整理できます。新聞を読む時に意識してみてください。

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