「震災・防災」のページ
  • 記事を印刷

<閉校モノ語り>震災遺構 母校のままで

荒浜小校舎から見下ろした荒浜地区。校舎のほかに建物は残らなかった=2011年4月27日
看板の取り付け作業を見守る子どもたち

仙台・被災小学校(下)荒浜小の校舎

 東日本大震災の津波で被災した仙台市若林区の荒浜小校舎に2月末、縦1メートル、横16メートルの大看板が取り付けられた。子どもたちのしたためた文字が躍る。
 今春閉校する母校にメッセージを贈ろうと、6年生8人が制作した。
 「自分たちだけでなく、荒浜小を巣立った地元住民の思いも込めたい」。そう決め、卒業生にアンケートと聞き取りを実施し、記すべき「言葉」を話し合ってきた。
 校舎は鉄筋コンクリート4階建て。震災が起きたあの日、地元住民約320人が上層階に避難して難を逃れた。足元では古里が、悪夢にのみ込まれていった。
 避難を先導した卒業生の大久保勝彦さん(75)は「避難した全員が無事だった。育ててくれた古里であり、住民を守ってくれた命の恩人」と被災した校舎を見上げる。
 ほかにも「思い出いっぱいの宝箱」「なくなってほしくない家族」「一番成長できた場所」など、卒業生約40人から惜別の思いが寄せられた。
 6年の佐藤功基君(12)が説明する。「たくさんの思い出をくれた学校への感謝、命を守ってくれた校舎への恩、荒浜小を忘れないという気持ち。全てを凝縮したら、こうなりました」
 「ありがとう」
 荒浜小は新年度、若林区の七郷小と統合される。校舎は震災遺構として市が保存する。
 親子4代にわたって荒浜小に通った庄子利宏さん(50)は「校舎を見ると荒浜に帰ってきたと感じる。いつか荒浜の人々が再び集まれる場所になってほしい」と願う。
 教育の場から震災を伝える場に役割が変わっても、校舎は残る。そして母校であり続ける。


2016年03月09日水曜日

  • 記事を印刷
先頭に戻る