<ツール・ド・東北>変わりゆくコースの風景

<2013>震災の爪痕が残る女川町中心部。江島共済会館のそばを出場者が走る=2013年11月3日
<2014>朝日を浴びながら復興へ歩む女川町中心部を自転車が走る。かさ上げ工事が始まり、江島共済会館はこの後撤去された=2014年9月14日
<2015>かさ上げ工事が進む女川町中心部。後ろは震災遺構の旧女川交番。その奥で駅前商業エリアの整備が続く=2015年9月13日

 東日本大震災からの復興を支援しようと2013年に始まったツール・ド・東北が今年、4回目を迎える。津波で被災した沿岸部をたどるコースは毎年風景が変わり、復興の現状を物語る。第1回から参加する大会フレンズの白戸太朗さんは、ツール・ド・東北を「被災地の現実を確認する、僕にとってとても大切な日」と言い表す。

◎女川復興ロード 3年の軌跡

 ツール・ド・東北は2013年に始まった。巨大災害の生々しさが残っていた第1回から3年がたち、被災地は姿を変え続ける。新しい町が広がり、新しい家が増えてきた。復興はまだ途上だが、前へと少しずつ歩んでいる。
 女川町の中心部は大規模なかさ上げが進み、震災前、震災直後とは印象が一変した。
 横倒しになった4階建てのビルが出場者に津波の衝撃を伝えた江島共済会館は、14年12月に撤去された。新しいJR女川駅が15年3月に開業。前回大会から3カ月後の同年12月には駅前にテナント型商店街「シーパルピア女川」がオープンし、再生の息遣いをより感じさせる装いで今回の大会を迎える。
 シーパルピアで青果店「相喜フルーツ」を営む相原和栄さん(69)は当日、女川駅前のエイドステーションに詰める。「がれきばかりだった震災直後の女川とはだいぶ違う。道路も立派になった」。出場者に新しい女川を見てもらえると楽しみに待つ。

◎競技力・道路整備に貢献

 ツール・ド・東北の原点は1952年に始まった三笠宮杯東北一周自転車競走大会にさかのぼる。71年まで開かれ、競技力の向上と、東北地方の道路整備の促進に貢献した。
 その後は、東北自転車競技選手権(72、73年)、三笠宮杯東北地域自転車道路競走選手権大会(74〜92年)を経て、93年からは三笠宮杯ツール・ド・とうほくが2007年まで続いた。
 13年に始まったツール・ド・東北には、半世紀以上にわたる「東北」を冠した自転車大会の伝統が息づく。

◎4回連続出場 会社社長 白戸太朗さん/被災地走り 現実を再確認

 プロのトライアスリートとして30年近く自転車関係の仕事をしている。ツール・ド・東北は企画から関わってきたこともあり、今年で4回連続の出場となる。
 2013年の第1回では大きなショックを受けた。自転車で走ると、津波の被害があった所、ない所の境がはっきりと分かる。予想はしていたし、報道にも接していたが、自転車で見ていくことで残酷な状況が心に刺さった。
 14年は浸水域からがれきが消え、更地になった。ようやく一歩進んだ印象を受けた。15年はマイナスがゼロに戻り、少しずつ復興に向かって歩み出したと感じた。
 東京にいると、頭の中で被災地の状況が勝手に改善されていく。日々の生活の中で何となく風化が進む。1年に1度、ツール・ドを走ってバンとたたかれ、現実を確認する。僕にとって、とても大切な日だ。
 三陸はすてきな景色と適度なアップダウンがあり、自転車で走るには素晴らしい。震災を抜きにしても行く価値はある。三陸本来の魅力と被災地支援の意味合いが重なるツール・ドは、自転車に乗る人なら絶対一度は走った方がいい。何かを感じるはずだ。
 エイドステーションの存在も大きい。地域の人が地の物を出す在り方は極めて正しい。第1回は量が多すぎたが、程よい感じになってきた。ツール・ドの真価は人との触れ合いにある。ふとした会話に胸を打たれる瞬間がある。構えずに交流を楽しんでほしい。
 回を重ね、出場者が増えるにつれ、いろんな課題が見えてくる。復興のためという大会の意義を出場者、運営者、地元が常に共有しないと根本が変わってしまう。初志を忘れず着実にスケールアップを目指してほしい。世界には3万人規模の自転車イベントがある。ツール・ド・東北にはまだまだ大きな可能性がある。

<しらと・たろう>京都市生まれ。中央大卒、日体大大学院修了。距離スキー選手だった大学時代にトライアスロンを始めた。世界選手権に8回出場。トライアスロンの普及を目指し2008年にアスロニア(東京)設立。スクールやショップの運営、大会企画を展開する。49歳。


2016年09月11日日曜日


先頭に戻る