<東邦銀行>払い戻し 前例超えて

リスクを背負った銀行員の思いと決断が被災地を支えた。(左上から時計回りに)問い合わせに追われる東邦銀行本店、周囲にがれきが散乱した現金自動預払機、防護服姿で作業する行員、天井が抜け落ちた支店内のコラージュ

 東北の日常が断絶したあの時。被災地の企業はどう動いたのか。自ら被災しながらも、地域や住民に尽くした企業市民の姿を追う。

◎トモノミクス 被災地と企業[5]第1部 衝動(3)せおう

 「何も持っていないけど、お金を下ろせますか」
 巨大な揺れと大津波の恐怖から一夜明けた2011年3月12日。ジャージー姿の30代男性が、疲れ切った様子で口を開いた。
 福島県相馬市の東邦銀行相馬支店。男性は市内で津波に遭った。濁流にのまれ、民家の屋根につかまったまま、2キロほど流されたという。
 これは現実なのか。応対した支店長の安藤利之さん(57)は込み上げるものを抑え、10万円を手渡した。
 自宅を流された人。東京電力福島第1原発事故から、着の身着のまま逃げた人。運転免許証など本人確認できるものが一切ない被災者は少なくなかった。
 同行は震災の夜、通帳や印鑑を持たない預金者に、1人10万円まで払い戻しに応じることを決めた。
 相馬支店の状況は困難を極めた。通信回線や電話は不通だった。オンライン上で預金名簿が確認できず、残高が分からない。

 安藤さんは身分証明書のない被災者と向き合い、本人と判断できれば現金を手渡した。「払い戻しというより、目の前の被災者を支えたい思いが強かった」と安藤さんは振り返る。
 結局、同支店は約370件の払い戻しに応じた。預金残高以上に二百数十万円の過払いがあったが、後に全額、返ってきた。
 固い。冷たい。リスクを最も嫌う銀行が、被災者のリスクを一身に背負った。
 混乱が激しさを増す中、本店の事務本部副本部長だった阿字(あじ)聡さん(59)の元に電話があった。第四銀行(新潟市)からだった。
 「東邦銀行さんのお客が来て、現金を払い出したいと言っているのだが…」
 原発事故直後、通帳やキャッシュカードを準備できなかった県外避難者もいる。阿字さんは一つの仕組みを考えた。

 「他行が支払った現金は東邦銀が立て替える」
 「不正引き出しのリスクは全て東邦銀が負う」
 北村清士(せいし)頭取(69)は他行のトップに連絡を入れた。その一つ、八十二銀行(長野市)の山浦愛幸(よしゆき)頭取(70)=当時=は、電話で理解を求める北村頭取を制した。「説明は必要ありません。やりましょう」
 全国のバンカーが思いを共有し、東邦銀の申し出に39行が応じた。「代理払戻制度」は、日本金融界で初の出来事となった。
 11年3月、被災した県内企業が資金繰りに頭を痛めていた。東邦銀は多くの貸出先に数カ月間、無条件で返済を猶予した。「融資事故を恐れるな。被災者に役立つことを優先してほしい」。震災直後、北村頭取はこう訓示している。
 杓子(しゃくし)定規なルール。前例踏襲。慣習を超えた行員の思いと決断が被災地の生活、産業、雇用を支えた。経済の血液、マネーに体温が宿った。
          ◇         ◇         ◇
 企業の社会的責任(CSR)。21世紀、世界の企業に浸透し始めた概念だ。東日本大震災後、東北の被災地には無数の企業が足を踏み入れ、試行錯誤を重ねた。艱難(かんなん)の地へ、生活の糧を、癒やしを、希望を。企業を突き動かした衝動は何だったのだろう。あれから間もなく6年。CSRを足掛かりに、あの日に返って経済社会を展望する。見えてくる明日を、私たちは「トモノミクス」と呼ぶ。


2017年01月10日火曜日


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