<フロンティアジャパン>社長自ら被災地移住

作業する女性スタッフに話し掛ける額賀社長(中央)。南三陸工場は社業のけん引役に成長した=1月17日、宮城県南三陸町

 震災はCSR(企業の社会的責任)に新たな視座をもたらした。主役は自らの社会的存在に覚醒した企業。地域や消費者との共存を探る姿があった。(「被災地と企業」取材班)

◎トモノミクス 被災地と企業[20]第4部 壁(2)かたる

 宮城県南三陸町の山あいで、大手企業の営業活動に使われる木製卓上カレンダーやコースターが製造されている。生産数は年100万個。東日本大震災後、同町はノベルティ(販売促進品)の一大産地になった。
 それはトップの唐突な提案から始まった。
 「被災地に工場を建て、雇用を生みたい」
 あっけに取られる社員。追い打ちをかける言葉が続いた。「私自ら1年間、現地に行こうと思う」

 2011年夏、フロンティアジャパンの額賀泰尾(やすお)社長(45)は、東京のオフィスで社員に打ち明けた。
 従業員35人の中小企業。震災前から社業は好調で工場用地を探していた。それにしても…。経営に与える影響は計り知れない。社員の間に不安が渦巻いた。「生産量を確保できない」「中途半端な支援に終わる可能性がある」
 社長の代わりに社員を派遣する意見も出た。額賀社長は押し切った。「支援を継続するにはトップが行くべきだ。地域に溶け込めば迅速な判断を下せる」
 同社環境事業部の富岡夕紀子さん(52)は「何より社長が1年もいなくなることが不安だった」と振り返る。
 震災から丸1年、町内の廃校舎で南三陸工場の操業が始まった。額賀社長は言葉通り、近くの物置小屋などで自炊生活を送る。
 同社は1978年、印刷物の梱包(こんぽう)、配送会社として創業。約10年前、ノベルティ製造に乗り出した。国産間伐材を使った森林保全への貢献を事業に組み込み、現在は売上高の7割を占めるまでに育った。
 同社の経営理念は企業活動を通じた社会貢献。被災地で復興支援を続けるには本業との一体化が不可欠だ。進出前、額賀社長は社員に語り続けた。「東北は木材が豊富で生産量を伸ばせる」「被災地はチャレンジにふさわしい場所だ」

 額賀社長の熱意に、地元の森林関係者も一目置く。取引先の一つ、丸平(まるへい)木材(南三陸町)の小野寺邦夫社長(50)は「社長自ら移住し、復興への本気度が伝わってきた」と語る。
 被災地支援の取り組みは大企業の共感を呼び、新たな取引先を生んだ。15年4月、近くの旧自動車部品工場を再整備し、新工場を完成させた。震災で仕事を失った住民ら8人を雇用し、生産量は社内の半分を占めるまでになった。
 地元出身の工場長、西城慶之(よしゆき)さん(33)は「被災地の木を使ってほしいという企業からの注文が途切れない。商品が被災地の内外をつないでいる」と言う。
 「被災地支援と企業の成長は両立できる」
 額賀社長は確信する。社員と語り合い、CSR(企業の社会的責任)の思いが切り開いた成長への道だった。
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 企業の社会的責任(CSR)。21世紀、世界の企業に浸透し始めた概念だ。東日本大震災後、東北の被災地には無数の企業が足を踏み入れ、試行錯誤を重ねた。艱難(かんなん)の地へ、生活の糧を、癒やしを、希望を。企業を突き動かした衝動は何だったのだろう。あれから間もなく6年。CSRを足掛かりに、あの日に返って経済社会を展望する。見えてくる明日を、私たちは「トモノミクス」と呼ぶ。


2017年02月25日土曜日


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