<最速への挑戦>五輪選手 次々に輩出

メガホンを手にして指導に熱が入る椿監督=2017年12月

 2月9日に開幕する平昌冬季五輪で、スピードスケート日本代表に山形中央高出身の加藤条治、ウイリアムソン師円、小田卓朗、一戸誠太郎の4人が選ばれた。山形の公立校がなぜ全国から注目を集める強豪に成長したのか。強さの秘密に迫る。(今愛理香)

◎山形中央高スケート部(下)飛躍

 山形中央高をスピードスケートの強豪校に育てた椿央(ひろし)監督(52)は、もともと山形に縁があったわけではない。

<静岡から赴任>
 出身は北海道苫小牧市の東部に位置するむかわ町。4歳からスケートを始め、北海道日大高(現北海道栄高)2年で国体少年男子5000メートルを制し、日大に進学。1年の時に全日本選手権で総合4位に入った実績を持つ。卒業後は静岡県の高校で体育の非常勤講師として働きながら、競技を続けていた。
 山形県から声が掛かったのは1989年のこと。当時の山形県は地元開催のべにばな国体(92年)を控え選手強化を進めていた。「教員として働きながら競技も続けられる。迷いはなかった」(椿監督)。90年に赴任。スケート部顧問に就いた。
 公立校を強豪に押し上げるまでの道のりは平たんではなかった。スピードスケートの本場は北海道。あとは長野や群馬が続くくらいで、当時の山形は全くの後進県だった。競技人口が少なく、新入部員がゼロの年があったほど。未経験で入部する選手さえおり、イロハのイから指導しなければならなかった。

<加藤が刺激に>
 局面を大きく変えたのは2010年バンクーバー五輪銅メダル、加藤条治(山形市出身)の存在だ。ショートトラックでスケートを始めた加藤は、椿監督の指導で実力を伸ばし、インターハイの男子500メートルを3連覇。高校生として初めてワールドカップ(W杯)代表にも選ばれた。
 加藤が活躍したことで同校は全国の注目を集め、ソチ五輪に出場したウイリアムソン師円や小田卓朗(ともに北海道出身)の輩出につながった。椿監督は「彼らにあこがれ、有力選手が山形に来る。強さが受け継がれる構図ができた」と振り返る。
 椿監督の次の目標は、加藤、ウイリアムソンらに続く五輪選手の育成だ。「世界で戦える選手を育てるには、高校時代から世界を経験させることが大事。東北から五輪に出場する選手を育てていくことで、さらにスケート界を盛り上げていきたい」。挑戦は道半ばにすぎない。


2018年01月13日土曜日


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