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七十七銀女川支店の遺族 GWに語り部活動

語り部をする田村さん(左から2人目)と弘美さん(左端)

 東日本大震災の津波で死亡・行方不明になった七十七銀行女川支店(宮城県女川町)の行員ら3人の家族が、銀行に計約2億3000万円の損害賠償を求めた訴訟で、家族は1日、銀行の法的責任を認めず控訴を棄却した仙台高裁判決を不服とし、上告した。
 行員だった長男健太さん=当時(25)=を亡くした大崎市の田村弘美さん(52)は同日、仙台市青葉区で記者会見し「諦めずに声を上げ続けたいと考えた。企業が従業員の命を守る責任を果たし、同じ犠牲が二度と出ないような最高裁判決を望む」と訴えた。
 代理人弁護士は、銀行は従業員を高台に避難させる安全配慮義務を怠ったと主張した上で「高裁の判断は、他人の生命や身体を預かる者は科学的知見に基づき万全を期すべきだ、とした過去の最高裁判断に反している」と述べた。
 七十七銀行は「上告されたことは残念だが、これまで同様、最高裁にも主張を理解してもらえると考えている」との談話を出した。

 七十七銀行女川支店(宮城県女川町)の犠牲者家族が大型連休中も、語り部として命の大切さを伝えている。女川町へ通い、現地を訪れる人と交流。「何が起きたのか知ってほしい」。在りし日の思い出を胸に企業防災の向上を訴える。
 大型連休最初の祝日となった4月29日、2家族の4人が支店跡地を見下ろす高台に集まった。県内や関東、関西などから来た人々に語り掛けた。
 「支店から走れば1分でここに来られた。息子は会社を信頼し犠牲になった。自分の身に置き換えてほしい」。長男健太さん=当時(25)=を亡くした大崎市の田村孝行さん(54)と妻弘美さん(52)が震災前後の支店周辺の写真を示し、被災状況を説明した。
 初めて女川町に足を運んだ仙台市青葉区の男子医学生(21)は話に聞き入り「命の尊さや津波の怖さを学び、貴重な経験になった」。
 田村さん夫妻は震災から2年がたった2013年3月ごろ、現地で語り部を始めた。多くの企業幹部や学校教員らに悲劇を伝え、並行して銀行を相手に訴訟に臨んだ。一、二審は敗訴したが、企業防災の指針となる司法判断を求め、引き続き最高裁で争う。
 田村さんはこの日、5月5日の「こどもの日」を前に高台にロープを張り、こいのぼりを掲げた。健太さんの形見だ。約25年ぶりに自宅から外に出した。孫が誕生したら飾るという願いはかなわなかった。「諦めずに活動を続けていくから見ていてくれと、息子に誓った」
 姉美智子さん=当時(54)=を失った仙台市の丹野礼子さん(57)と石巻市の恵子さん(55)姉妹も語り部を続ける。美智子さんは「姉妹3人で世界遺産を見て回り、おいしいものを食べ歩きたい」と定年後を楽しみにしていた。
 礼子さんは「姉は高台に避難すれば助かった。悔しい」と言う。恵子さんは「何が起きたのかを多くの人に知ってほしい」と望む。
 礼子さんの話に耳を傾けた松山市の会社員男性(53)も初めての女川町訪問。四国では南海トラフ巨大地震の被害が想定される。「見聞きした教訓を家族や知人、地元の人たちに伝えたい」と誓った。


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2015年05月02日土曜日

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