福島のニュース
  • 記事を印刷

<祈りと震災>(48)不安や怨みと決別を

[げんゆう・そうきゅう]1956年福島県三春町生まれ。同町の臨済宗福聚寺住職。2001年「中陰の花」で芥川賞。著書に「祈りの作法」など。11〜12年に政府の東日本大震災復興構想会議委員を務めた。

◎作家からの伝言(中)玄侑宗久さん/思考の蓄積苦しみ生む

 「老子」第5章に「天地に仁なし」という言葉がある。簡単に言えば、天地自然には思いやりなどなく、自然災害に遭って死ぬのも生き残るのも100%偶然であり、そこには何らの因果も読み取る必要はないということだ。
 東日本大震災から4年以上たった今、私はなおも家族を喪(うしな)った悲しみから立ち直れない人々にこの言葉を贈りたい。
 だから生き残ったことに自責の念を感じすぎないでほしいし、そろそろ自然を見習い、津波の翌日のあの凪(な)いだ海のように、蓄積した思いを手放してほしいのである。
 蓄積こそが文化じゃないかと、反論が聞こえてきそうだが、たしかにそういう面はあるものの、日本では古来、神道も仏教も鏡に喩(たと)え、思いを祓(はら)い清め、解こうとしてきた。思いの蓄積こそが人間を苦しめることをよく知っていたのだろう。
 
ある実験によれば、人間は1日に約5万回近くさまざまなことを「思考」するという。思考の一部は口に出されるものの、ほとんどは表出されることなく、潜在意識に記憶される。そして潜在意識は、反論も批判もすることなくそのまま受け止め、その思考を実現するため、四六時中働いているのである。われわれが何を口にし、何を思考するかが人生を決めると言っても過言ではない。
 おそらく今、被災地に住む人々の心を占めるのは、さまざまな「不安」に違いない。なかには「怨(うら)み」という人もいるかもしれない。「不安」も「怨み」も、思考の蓄積が生み出す人類最大の敵である。敵はすでに外部にはおらず、われわれの内部で増殖しようとしているのだ。
 
2、3日で戻れると思って自宅を離れ、4年も戻れない人々。震災後に自殺した人の家族。2年8カ月もかかった牛や豚の安楽死にいや応なく従事した獣医さんたち。各地で霊媒の方々に家族を降ろしてもらう家族…。そんな人々に「不安」や「怨み」を抱かないでと言っても、難しいことは百も承知である。しかしそんな人々だからこそ、これ以上苦しみを増やさないでほしいと切に願うのだ。
 自然は怨まないし不安も感じない。むろん祈りもしない。本当は自然に学び、どれもない状態にできればいいのだが、人は募る不安を打ち消し、怨みに代替するために祈る。
 まず希望する状態を明確に思い描き、それがかなったときの感情もリアルに言葉にして朝晩必ず念じてほしい。あとは潜在意識が寝ていてもそれをかなえるべく働いてくれる。これはマーフィーの法則と呼ばれるが、どの宗教にも共通する正当な祈りである。

 


関連ページ: 福島 社会 挽歌の宛先

2015年06月02日火曜日

  • 記事を印刷

先頭に戻る