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<戦後70年 私は今>不戦の意識 共有必要

資料に目を通し、相談対応に備える渡辺さん

◎渡辺ドゥルセさん(44)/みやぎ外国人相談センター相談員(フィリピン)

 フィリピン出身の渡辺ドゥルセさん(44)=宮城県大和町=は1993年にダンスパフォーマーとして来日した。日本に住んで22年。既に人生の半分を過ごしたことになる。
 「もうすぐ子育ても一段落。今では何でもかかってこいという感じです」
 来日して間もなく、当時働いていた千葉県で大崎市生まれの夫と知り合い、結婚した。2人の子どもは社会人(20)と高校生(18)に成長し、母親としてのたくましさが漂う。
 宮城に来たのは95年ごろ。義父母が大病を患ったのを機に大崎市で同居を始め、育児と看病に専念する日々が続いた。「言葉には苦労した。自分の思いが通じず葛藤する日々もあったが、夫をはじめ家族のサポートで乗り越えることができた」と振り返る。
 2008年には大和町に引っ越した。宮城での暮らしは20年になる。「四季折々の自然に恵まれ、人も温かい」。日本と宮城にほれこんでいるが、70年前は戦争一色の時代だった。
 フィリピンも第2次世界大戦では日本の占領下に。戦争の話になると、快活な表情がきりっと引き締まった。
 「フィリピンも戦争を経験したはずなのに、日本ほど強く意識されていない。悲惨な出来事を二度と繰り返さないためにも、日本人のような『戦争は絶対駄目』という強い意識を世界の人も共有する必要がある」
 11年から宮城県国際化協会のみやぎ外国人相談センター(仙台市青葉区)で通訳や相談員を務めている。
 週1回、タガログ語と日本語、英語を駆使して母国出身者の電話相談などに応じている。「言葉や文化の違いから孤立している人も多いはず。自分の経験を伝え、悩みを抱える在日外国人の力になりたい」
 社会に出て地域のために貢献する。新たな喜びを感じている。


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2015年06月08日月曜日

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