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<大熊じじいの夢>除染後の町を次世代へ

復興公営住宅の建設予定地を眺める現地連絡事務所の職員たち。復興へ向けた歩みは始まったばかりだ

◎福島・現地職員の原発事故/(4完)復興の兆し

<東京にいらだち>
 福島県大熊町大川原地区に広々とした休耕田が広がる。町が3月に策定した第2次復興計画で、復興拠点として位置付ける場所だ。
 同地区は放射線量が低く、町は研究機関や企業、植物工場、太陽光発電施設を誘致し、町民向けの復興公営住宅や墓地の建設を計画している。今春、東京電力が作業員の食事を作る給食センターを開設するなど、復興に向けた動きは出始めているが、歩みは遅い。
 「国策の原発によって町は甚大な被害を受けた。東京は電気が使えなくなって困っているわけではなく、五輪に浮かれている。復興が目に見えないので、余計に頭にくる」。町現地連絡事務所の横山常光さん(62)はいらだちを隠さない。

<町の発展に自負>
 大半の町民は帰還を諦めている。町の昨年の調査によると、帰町を希望する町民は13%しかいない。70歳以上は20%が戻りたいと考えているのに対し、30〜50代は10%以下だ。
 事務所の岡田範常さん(62)は「今の町の状態では、戻りたくない人が多いのは当たり前。人が帰りたいと思うような魅力ある町づくりをどう進めるかを考えるべきだ」と言う。鈴木久友さん(63)は「大半は戻らなくても、町民の1割の1000人が戻れば、何でもできる」と話す。
 役場職員OBの鈴木さんらには昭和40年代以降、農家が出稼ぎに行かずに地元で働けるようになるまで町を発展させた自負がある。
 公共料金や保育料が安く、県内でも15歳以下の人口が多かった。「一番住みたい町」。そう言われた時期があった。町が豊かになったのは、もちろん、東電、原発の存在が大きかった。

<やる気があれば>
 町が復興するための鍵は何と言っても除染だ。鈴木さんは「5年後の東京五輪の時には、帰還困難区域のバリケードをなくさないといけない。除染すれば戻るという人も出てくる。土地とやる気があれば必ず復興はできる」と話す。
 鈴木さん、横山さん、岡田さんは原発事故前、老後に農業法人の設立を計画していた。100万円ずつ出資して野菜の有機栽培を行い、東京にアンテナショップを出店する構想だった。
 他の職員は悠々自適の老後を思い描いていた。杉内憲成さん(64)は「大熊は海の幸、山の幸に恵まれている。おにぎりでも持って出掛け、気の合う仲間と一緒に魚釣りをして過ごしたかった」と話す。
 原発事故によって、そんな夢は一瞬にして消えた。「今は町民のためにやるしかない」と鈴木さん。中島孝一さん(62)は「次の世代に町をしっかり残すことがわれわれの生きている間の使命だと思う」と語る。
 将来、1人でも多くの町民に古里に戻ることが現在の夢。そのために、今日も軽トラックを走らせる。
(会津若松支局・跡部裕史)


2015年07月04日土曜日

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