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<震災遺構のいま>古里喪失 教訓未来に

4寸(約12センチ)角の杉柱は半分ほどの太さになった。半杭さんが見詰める=南相馬市小高区

◎被災地の選択(4)フクシマ/避難地域復興 願い込め

 記憶すべきなのは津波災害だけではない。東日本大震災は、原子炉4基が破損し、大量の放射性物質を放出する世界でも未曽有の原子力災害を引き起こした。東京電力福島第1原発事故の教訓を未来に引き継ぐ権利と責任が被災地にはある。
 原子炉建屋の爆発が伝えられたときの絶望感。見えない放射線に震えた恐怖。古里を奪われた怒り。長期避難を強いられる苦しみ。安全神話の崩壊…。
 原発事故の諸相は津波災害に比べると具象化するのが難しく見える。不磨の語り部として、事故のすさまじさを一目瞭然に伝えられる遺構は何か。

 居住禁止が続く福島県南相馬市小高区の酪農家半杭(はんぐい)一成さん(65)は絶対に残すと決めている。置き去りにした牛が餓死する前にかじり食い、やせ細った牛舎の柱だ。
 避難指示が出た3日後の2011年3月15日、40頭の牛を残し避難した。次に牛舎に入ったのは6月10日。地獄絵図に感情を失い、立ち尽くした。
 「牛はどんな気持ちだったろう。自分のしたことが恐ろしい。命がどう失われたのか。事実を残したい」
 原発が立地する双葉町の自営業大沼勇治さん(39)は、原子力PRの看板を掲げた町内2カ所のゲートの保存を求める。
 表裏に住民公募の標語が記される。その一つ「原子力明るい未来のエネルギー」は大沼さんが小学6年生のときに考案した。「誇らしかった。通学、通勤、買い物。ゲートを毎日くぐって暮らした」と振り返る。
 信じた未来は事故で一変する。うつうつとした避難生活の中、ゲートの存在が恥ずかしく撤去を願った。
 1年後に思い直した。「原発を信じ古里を失った町の歩みを看板は象徴する。失敗を認め、反省して成長する双葉の底力を看板と共に見せたい」と強調する。

 避難区域では、人が住める状態に戻すため、除染と再開発が進む。社会学者で福島大特任研究員の開沼博さん(31)は「意識的に何を残すか考えないと、原発事故の遺構はなし崩しに新しい町にのみ込まれる」と指摘する。
 遺構を残す意味は「悲劇を繰り返さないための教訓」「危機や絶望から立ち上がるきっかけ」にあると開沼さんは説明する。
 遺構の周囲が変わり続けていけば、風景にギャップが生まれる。それが価値となり、復興状況の報告にもなる。「事故後、フクシマは世界的なブランドになってしまった。遺構を見に訪れる人が増えれば、『普通に行ける。勉強もできる』とネガティブな見方が覆される」(報道部・中島剛)


2015年07月21日火曜日

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