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<日航機墜落と大震災>無数の遺体懸命に搬送

約30年ぶりに「御巣鷹の尾根」に登り、慰霊する太田さん=7月12日、群馬県上野村

◎元自衛官が見たもの(上)御巣鷹の尾根

 乗客乗員520人が犠牲になった日航ジャンボ機墜落事故から12日で30年となるのを前に、墜落現場で捜索に当たった宮城県名取市の元自衛官の男性が、事故後初めて、群馬県の現場を慰霊に訪れた。東日本大震災では名取市閖上の職場が被災。生存者捜索にボランティアで参加し、懸命の救助を続けた。「惨事は二度と繰り返してはならない」。男性は二つの壮絶な現場に遭遇した経験を振り返りながら、あらためて命の大切さをかみしめた。(報道部・小島直広)

<慰霊碑に焼香>
 「30年前、この辺りは木々がなぎ倒され、一面が焼け野原。とにかく暑くて、油の焦げた臭いが立ち込めていた」
 名取市の建設会社役員太田幸男さん(51)は、月命日の7月12日、群馬県上野村にある「御巣鷹の尾根」(1565メートル)に登り、墜落現場の慰霊碑に花を手向け焼香した。
 機体が激突した山肌。救助の臨時ヘリポートとなった場所で、太田さんは戸惑うような表情をみせた。30年という時の経過で風景は一変。桜やシラカバの木々が生い茂り、夏の青空の下、涼しい風が通り抜けていたからだ。

<散らばる破片>
 太田さんは仙台市太白区秋保町出身で、地元の高校を卒業後、航空自衛隊に入隊。3年目の21歳の夏、埼玉県狭山市の入間基地に所属していた時、災害派遣命令を受け、捜索隊員として墜落現場に赴いた。
 群馬・長野県境の険しい山々。クマザサのやぶをかき分けて尾根伝いに現場に向かった。誘導のヘリコプターから合図を受け、道なき道を数時間歩くと、稜線(りょうせん)に白煙が立ち上るのが見えた。
 鼻につく燃料の臭い、機体の破片、樹木にぶら下がった男女の区別がつかぬほど焼け焦げた無数の遺体…。

<登山道に墓標>
 太田さんの捜索隊が現場の尾根に着いたのは、乗客の中学生川上慶子さんら生存者4人がヘリで救出された直後だった。太田さんらは生存者の発見に望みをつないだ。だが、見つからない。眼前にあるのは山肌に散らばった遺体ばかり。それらを黙々とヘリポートへ運ぶ作業が数日間続いた。
 「子どもの遺体を見つけた時は胸が痛んだ。隊員誰もが無言。お互い誰も目と目を合わせようとはしなかった」と、太田さんは振り返る。
 現在、御巣鷹の尾根は登山道が整備され、道端には数え切れぬほどの墓標が立つ。山全体が墓地のようだ。太田さんは歩みを止めながら、何度も何度も手を合わせた。
 「520人、それぞれにその先の人生があったはず。それが一瞬で奪われたことを私は決して忘れられなかった」。墜落事故の過酷な現場に立ち合った元自衛官はそれから約26年後、大津波と向き合うことになる。

[日航ジャンボ機墜落事故]1985年8月12日午後6時56分、524人を乗せた羽田発大阪行き日航123便ボーイング747が群馬県上野村の「御巣鷹の尾根」に墜落し、520人が死亡した。単独の航空機事故としては史上最多の犠牲者が出た。機体後方に座っていた女性4人が翌13日、現場から救出された。


2015年08月04日火曜日

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