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<震災4年5カ月>絶縁の父、憎しみ消えた

「絆 ありがとう」と刻んだ墓石を拭く横山さん。父の死が家族の大切さを顧みるきっかけになった=東京都町田市

 東京都町田市のバス運転手横山健さん(46)は、30年余り絶縁していた宮城県東松島市の父親を東日本大震災の津波で亡くした。自分と母親を捨て、家を出た父。悩んだ末に遺骨を引き取り、弔いを続ける。11日で震災から4年5カ月。13日には、震災後5度目の盆の入りを迎える。さまざまな供養の形がある。
 町田市の小高い丘にある公園墓地に父の栄広さん=当時(73)=は眠る。墓石には「絆 ありがとう」の文字が刻まれている。自宅から車で5分。横山さんは月に1度訪れて手を合わせる。
 「おやじには憎しみの感情しかなかった。遺骨の引き取りも初めは断った」
 神奈川県小田原市で暮らしていた小学4年の時、両親が離婚した。父が帰ってこないと思っていたら、母に「別れた」と告げられた。墓石清掃の事業に失敗し、生活が荒れたと聞いた。
 2人暮らしとなり、母は競輪場の切符売りやビル掃除の仕事を掛け持ちして家計を支えた。横山さんは19歳で結婚し、2男1女に恵まれた。
 「おやじに会いたいとは一度も思わなかった」
 2012年夏、宮城県警から連絡が入った。津波の犠牲になり、東松島市野蒜で見つかった遺体が父親の可能性があるという。DNAの提供を求められた。
 鑑定の結果、父と分かった。30年以上の空白。「なぜ今更」と憤った。
 妻の恵美さん(44)は違った。「お義父さんの会いたいという気持ちが強いから連絡が来たんじゃないの」。遺骨すら戻ってこない遺族がいる中で何かの縁を感じた。
 妻の言葉で思い直し、同年9月、東松島市に遺骨を受け取りに行った。父が住んでいたという自宅跡に立ち寄り、線香を上げて花を手向けた。
 父は横浜市の運送会社で定年まで勤め上げ、その縁で野蒜にあった会社関係の住宅の管理を任された。1人暮らしだった。津波被害の悲惨さに思いをはせると、わだかまりが消えた。
 遺骨は13年4月に墓を建てるまで自宅の居間に置き、共に過ごした。「長い間、離れていても自分の事を気に掛けていたはずだ」。親となったわが身に置き換えると、かつてと違う父の姿が見えてきた。
 父との「再会」から3度目のお盆が巡る。盆棚に飾る精霊馬(しょうりょううま)をナスとキュウリで作り、おがらをたいて魂を自宅に迎える。


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2015年08月12日水曜日

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