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<防災庁舎県有化>未来の命守るため決断

「庁舎を残すことで将来、助かる命があるかもしれない」と語る佐藤町長

◎南三陸町長 佐藤仁さんに聞く

 東日本大震災で被災し、43人が犠牲となった宮城県南三陸町の防災対策庁舎の県有化に向け、県と町は9月初め、協定を締結する。庁舎をめぐる意見は、保存と解体で交錯した。県有化受け入れを選択した佐藤仁町長にあらためて聞いた。(聞き手は報道部・中島剛、南三陸支局・古賀佑美)

<凄惨な経験 後世に>

 −解体を選択しなかった理由は。
 「1960年のチリ地震津波以来、津波防災に力を入れてきた。今回の震災では町内だけで800人を超す人が亡くなった。訓練と言葉だけでは津波被害を防げない現実に直面した」
 「町民の遺体が町総合体育館に次々と運ばれる修羅場は二度とあってはならない。そのために講じるあらゆる手段の一つが住宅の高台移転であり、震災遺構による教訓の伝承でもある」

 −防災庁舎は、自らが被災し多くの部下や町民を失った忌まわしい記憶の象徴、消したい過去なのでは。
 「庁舎を見るのはつらい。屋上で波をかぶった後、多くの仲間が消えた。雪が降る中、低体温死の恐怖と闘い、翌朝まで過ごした。思い出したくない。震災前の私なら嫌な記憶が残る場所はすぐ解体しただろう。しかし震災以降、命とずっと向き合ってきた。佐藤仁個人の感情を超越し、凄惨(せいさん)な経験は後世にきちんと伝えなければいけない」

<犠牲者と思い共有>

 −2031年までの県有化終了後、庁舎をどうするべきか。
 「異なる意見を受け止め合い、町全体でゆっくり話し合って結論を出せばいい。個人としては、未来の命を守るため保存の方向でまとまればとは願う」
 「残すのであれば、震災を知らない世代に教訓が受け継がれるよう、半永久的な保存が望ましい。町民の機運次第だが、津波防災を訴える遺構として将来、原爆ドームのように国史跡、世界遺産となる価値は十分あると思う」

 −自身が庁舎で被災したことは県有化受け入れの判断に影響したか。
 「犠牲になった43人は最期の瞬間どんな思いだったか。庁舎が無くなったらどう思うか。ずっと考えてきた。当時あの場で犠牲者と一緒に波を受けた者として考え抜いた結論が県有化受け入れだった」
 「財政面、復興事業への影響を考えて一度は解体を決めた。一方で、未来の命を守るため、庁舎が必要ではないかという思いをずっと持っていた。犠牲者が出た施設について、震災遺構の是非を検討するのは非常に難しい。犠牲者と思いを共有し修羅場を体験した当事者だから、県有化による議論の継続という方向性を打ち出すことができたのかもしれない」


2015年08月14日金曜日

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