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<避難解除問う>築いた縁 消失危機

避難後、初の共同作業となった墓地の草刈りに集った住民=2日、福島県飯舘村比曽

◎飯舘村比曽から(中)共同体の行方

<4年ぶり作業>
 お盆前の2日朝、福島県飯舘村比曽の盆地を見渡せる墓地で草刈り機がうなっていた。約60人の農家が手慣れた作業で、みるみるうちに雑草を刈り払った。
 「大勢の仲間が久々に顔をそろえてお墓をきれいにし、先祖たちも喜んでくれているだろう」
 あずまやで涼む住民たちに行政区長の菅野秀一さん(53)があいさつした。墓地敷地の堆積物除去工事が終わったのを機に、東京電力福島第1原発事故後、初めて催す共同作業だった。
 「それぞれ避難先で4年余り暮らし、皆、集まりたい気持ちは一緒だった」
 こう語る秀一さんは、勤務先の電気工事店がある隣の川俣町に避難中だ。2012年3月に区長となり、区長経験者を加えた除染協議会、婦人会を入れた復興委員会を設け、山積する課題を毎月話し合ってきた。
 「きょうの活動を比曽の共同体再生の始まりにしたいが、全ては手探りだ」

<周辺部後回し>
 「村は、中心部のいい所にだけ『復興拠点』を作る計画を立て、周辺地区は後回しか。私は比曽に帰りたい。どうすればいいのか」
 5月27日夕、福島市の飯舘村飯野出張所(仮庁舎)であった、村幹部と比曽地区住民の懇談会。前々区長だった菅野民雄さん(69)が厳しい表情で問うた。
 17年3月に避難指示解除という国の方針が報じられた後で、住民たちの質問も「帰村の可否」に集まった。民雄さんが挙げたのは、懇談会で村が配った復興計画案・第5版の内容だ。
 便のいい県道沿いの深谷地区に道の駅とコンビニ、ホール、復興住宅、働く場となる花栽培施設がある「復興拠点エリア」を避難指示解除までに造るという。
 比曽など他の周辺部地区の復興の道筋は計画案で触れられず、懇談会では「戻りたい人は年寄りが多く、姥捨山(うばすてやま)になる」との声も出た。
 民雄さんは比曽にある羽山神社総代も務め、区長時代、共同体の結束を生かす地区づくりに取り組んだ。
 「飯舘では昔から、施設や行事が中心部の地区に集まり、『何くそ』との自立心が俺たちに芽生えた」

<帰る人 孤立も>
 18年前、同じ周辺部の佐須、長泥など5地区の人々が交流し語り合う「わいわいがやがやサミット」を始め、震災前年まで続けた。
 草刈りをした墓地のあずまやは「墓参や農作業の休み場に」と地区が計画し、総出で井戸も掘って手作りしたミニ公園だ。が、共同作業の源だった農業は4年間絶え、何戸の住民が戻るか五里霧中だ。「神社は除染されたが、この先、管理や祭りをやれるかどうか」
 17年3月の再出発は地区消滅の瀬戸際から始まるのか。区長の秀一さんは「皆、墓は比曽に残すと言っているが、離れる人も関わり続ける共同体を維持しないと、帰る人も、離れる人も孤立する。行政区ごとの再生を村と国は全力で支援してほしい」と訴える。

[メモ]政府はインフラやサービスの復旧を避難指示解除の要件とし、新しい中核とする復興拠点整備を福島再生加速化交付金で促す。これに対し比曽行政区は村に質問書を出し、徹底除染とともに(1)年金に頼る高齢者世帯、収入ゼロから始まる農家の生活支援(2)地区の商店、事業所再開の支援(3)行政の巡回窓口、訪問サービス−など地区からの復興を求める。


2015年08月19日水曜日

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