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<準備宿泊>津波被災地、遠い帰還 住民に焦り

自宅の庭木を見つめる佐藤さん。周辺には家屋の跡地だけが広がっている

 東京電力福島第1原発事故からの復興に向け、南相馬市小高区などで31日、避難住民の準備宿泊が始まる。失った日常生活を取り戻す動きが加速する一方、津波被災地は一時帰還さえままならないのが実情だ。先行きの不透明感に、沿岸住民は焦りを募らせている。
 「こんな文書、意味がないよ」。小高区村上地区の佐藤信之さん(67)が、準備宿泊の案内文書を前にぶぜんとした表情を見せる。今は相馬市内の仮設住宅で暮らしている。
 約70戸あった村上地区は津波で壊滅的な被害を受けた。濁流を免れたのはわずかに3戸。うち1戸は既に撤去され、もう1戸も解体予定という。事実上、佐藤さんの自宅が地区内唯一の民家となっている。
 家屋のダメージは比較的軽微だったが、津波の影響で水道が使えなくなった。施設復旧を求めているが、市から色よい返事は返ってこない。「帰還を促すなら、最低限のインフラは整えてほしい」と語気を強める。
 週に1度は庭の手入れなどで自宅を訪れる。トイレが使えないため、滞在は1時間程度。その間、ラジオを大音量で流し続ける。「何となく気味が悪くてね」。地区内では60人以上が亡くなった。周囲の静けさに今も慣れない。
 地区の大半は災害危険区域に指定された。家屋の新築は許されず、避難先に住居を構えた地区民も少なくない。地域コミュニティーの再生は困難だ。
 佐藤さんは8月、地区民の葬儀を手伝う機会があった。弔問に訪れたのは、もともと住んでいた全住民の3分の2程度。「以前は義理を欠く人はいなかったのにな」。長い避難生活の中で、人々の結びつきが弱まりつつあるのを実感する。
 将来的に自宅に戻ったにせよ、頼れる近隣住民はいない。「たった1軒で暮らしていけるのだろうか」。生まれ育った土地への愛着は強い。が、災害など非常時への不安は尽きない。
 南相馬市は来春の避難指示解除を目標に据える。移るか、戻るか。望郷の思いと厳しい現実のはざまで、佐藤さんの迷いが深まる。


2015年08月30日日曜日

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