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<楢葉4年半の重み>若い世代 帰郷迷う

父の新盆で楢葉町の自宅に戻り、迎え火をたく高野さん(右)=8月13日

◎全町避難解除へ(上)家族

 東京電力福島第1原発事故で福島県楢葉町に出されている避難指示が5日、解除される。全住民が避難した自治体では初めて「避難区域」から自由に住める町に戻る。古里を追われ4年半。先頭を切って再スタートする町でさえ、再生には、その歳月が重くのしかかる。解除前夜の楢葉を歩いた。(いわき支局・古田耕一)

<戻るの難しい>
 盆の入りの8月13日、高野幹生さん(45)は昨年10月に他界した父の新盆を楢葉町の自宅で迎えた。母、妻と2人の子、そして父の霊。原発事故後、家族が初めて楢葉に集った。
 自身は塩釜市に住み、仕事で仙台市に通う。妻子は妻の郷里の茨城県に避難する。母は父と一緒に住んだいわき市の仮設住宅で、高野さんの妹と暮らす。
 避難指示の解除後、母と妹は冬までに楢葉に戻る予定だが、高野さんと妻子は今の生活を続ける。「4年半が過ぎると、元の生活に戻るのは難しい」と思う。
 原発事故前、建築や製造を手掛ける会社を父と営んだ。避難後、従業員の引受先を探し、自身も職を探して現在の会社に入った。「一から設備を整え、事業を再開するのは無理。かといって、楢葉に今の会社のような安定した職場はない」
 妻子を呼び寄せることも考えたが、既に茨城の小中学校や環境になじんでいる。放射線に不安がある楢葉町となると、なおさらだ。
 「避難指示の解除で帰る場所ができるのはうれしい。週末には常磐自動車道で茨城や楢葉に通い、気持ちは離れないようにしたい」
 原発事故は一つ屋根の下の家族を引き離した。復興庁と県、楢葉町が昨秋、町の全世帯に実施した調査(回収率55.6%)では、2カ所に分離した世帯は32.3%、3カ所は15.0%、4カ所以上も4.8%に上る。

<何年かかるか>
 楢葉町の自宅で準備宿泊を続ける斎藤林一さん(76)は8畳間が五つ、12畳の洋間が一つの家に1人で住む。解除後も、妻と長男家族はいわき市で暮らす。
 「息子は仕事、孫は学校。妻は放射能が怖い。家族だけじゃない。以前は盆になると、県外の兄弟たちが集まったが、もう来ない。除染廃棄物の黒い袋を見れば帰省する気もうせる」
 斎藤さんは週4、5回、自転車で片道20分かけ、コンビニエンスストアにおかずを買いに行く。道すがら、町の将来に不安を感じる。「解除前で仕方ないが、子どもの声が一つもしない。寂しいよ。解除後も戻ってくるのは年寄りだけだ」
 町は8月20日、小中学校の町内での再開を2017年4月と決めた。現在の小中学生538人の保護者アンケートによると、再開時に「通学する」と答えたのは36人にすぎず、「迷っている」も43人だった。
 世帯分離が続き、若い世代、子どもたちが戻らなければ、古里をつないでいく基盤が大きく揺らぐ。
 「4年半を取り戻すのに何年、何十年かかるのか。えらいことだ」。ペダルをこぐ斎藤さんの足は重い。

[メモ]楢葉町は1956年、竜田村と木戸村の合併で誕生。東電福島第2原発が立地する。原発事故時の人口は8042、ことし8月31日現在では7368。住民基本台帳上は2694世帯だが、避難により3542戸(8月10日現在)に分かれて住む。町民の8割弱がいわき市に避難している。


2015年09月01日火曜日

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