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<楢葉4年半の重み>実らぬ秋 消える家

黒い袋が置かれた除染廃棄物仮置き場の脇でも、トラクターを使った田んぼの保全管理が行われた=2日

◎全町避難解除へ(下)原風景

<水田に黒い袋>
 東京電力福島第1原発事故で福島県富岡町から神奈川県に避難する押田明世さん(46)は8月8日、事故後初の墓参りで出身地の福島県楢葉町を訪れた。あらためて見る古里の風景に「懐かしさとショックが入り交じった複雑な気持ちになった」。
 田んぼに除染廃棄物の仮置き場が広がる。「娘が『あの黒い袋は何なの』と驚いていた」。実家に近いJR常磐線の竜田駅前には全く人影がない。「町が生きている感じがしなかった」
 楢葉町は事故から1年5カ月間、立ち入りが禁止され、荒れた。復旧が進んだとはいえ、傷は癒えない。
 上繁岡地区の農業佐藤充男さん(71)は8月11日、土むき出しの田んぼを前につぶやいた。「本来なら穂が出る頃。情けないというか、わびしいというか」
 楢葉町の水田は650ヘクタール。事故前はうち410ヘクタールでコシヒカリなどが栽培された。ことしの作付けは実証栽培の4.7ヘクタールのみ。仮置き場が計80ヘクタールを占拠する。
 使わない農地は、県事業として各地区の「復興組合」など農業者団体が保全管理する。佐藤さんは上繁岡の組合長。約100ヘクタールを耕起するが、そのほとんどはまだ、利用の当てがない。
 町は営農再開に向け、農業者831人の意向を調査した。昨年までの実証栽培では安全性が確認されたが、来年のコメ作付けを希望したのは全町で20人、面積は計約20ヘクタールだけだった。
 「作っても喜んで食べてもらえないだろう。後継者も帰らず、意欲が薄れた人もいる。仮置き場の脇では作る気にもならない」と佐藤さん。上繁岡の男性(64)は「楢葉は原発関連で働きながらコメを作る人も多かった。原発があったから田が維持できた。事故でそれが崩れた」と指摘する。

<駅前には更地>
 竜田駅前は町北部の玄関口。朝夕はいわき市や双葉郡内の高校に通う生徒でにぎわい、夜は勤め帰りの人たちが杯を傾けた。いまは荒廃した家屋が立ち並ぶ。
 町内では、東日本大震災や長期避難で傷んだ家屋の解体が進む。環境省や町によると、取り壊される建物は約1100軒、うち母屋が約500軒に上る。
 竜田駅前は、解体で街並みが最も変わる所とも言われている。地元の行政区長渡辺正尉さん(71)は「駅前は借地が多い。この機に家を壊し、土地を返す人も少なくない」と説明。「3分の1の家がなくなるかもしれない。駅前に虫食い状に更地が広がる」と嘆く。
 町が丸ごと避難して4年半。町民は百人百様の気持ちや事情を抱える。古里の原風景をどう取り戻し、つないでいくのか。原発事故との闘いという、しるべなき長い道の中で、楢葉町は5日、再スタートを切る。

[メモ]楢葉町の除染廃棄物仮置き場は24カ所で計58万袋(1袋約1立方メートル)を保管する。昨年のコメの実証栽培では、全袋で放射性セシウムが国基準値(1キログラム当たり100ベクレル)を下回り、うち2%のくず米以外は検出限界値(25ベクレル)未満。家屋解体は環境省が実施し、8月21日現在で471軒が壊された。


2015年09月03日木曜日

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