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<語り始めた子ども>仲間と共に 古里に立つ

自宅跡近くでツアー参加者に語る志野さん(中央)

◎震災4年半(下)踏みしめる

 体育館のステージ後ろから滝のように泥水が押し寄せた。「津波だ!」。逃げ切れなかったお年寄りが、目の前で水にのみこまれていく。
 石巻西高(宮城県石巻市)2年の志野ほのかさん(16)は東日本大震災が起きたあの日、宮城県東松島市野蒜小の体育館にいた。間一髪、高さ約3メートルの2階ギャラリーに上がって助かった。
 「ギャラリーの高さは想像できますか。その足元まで水が来ました」「体育館に取り残され、亡くなった人をまたいで移動した。夢かなと頬をつねってもみました」

<自宅の跡地で>
 志野さんは8月末、東京からのツアー参加者に体験を語った。津波で家々が流され、更地が広がる東松島市野蒜地区の長音寺周辺。志野さんがその一角で説明する。
 「ここは私の家(のあった場所)です」。築1年5カ月だった自宅は津波で流失、祖父の五男さん=当時(65)=が亡くなった。
 志野さんが野蒜小体育館に避難していたころ、約2キロ離れた自宅前で、祖父は隣人らの呼び掛けにも応じず、動かなかった。「孫が帰ってくるから」。長靴と傘を準備し、志野さんの帰宅を待っていた。
 「いつもささいなことで言い合いをしていたのに、そのときは何で待っていたんだろう…」。志野さんは自分に問うように語る。

<地域へ恩返し>
 震災時に野蒜小6年だった女子仲間と「TSUNAGU Teenager Tourguide of NOBIRU(TTT)」というグループをつくった。メンバーは6人。ことし5月から、ツアー客などに被災経験や教訓を伝えている。
 野蒜のことをもっと多くの人に知ってほしい。その思いで「現場」で語ることに重きを置く。「高校生になり、震災を野蒜で話すことが、野蒜への恩返しになると思うようになった」。大好きだった野蒜を忘れないよう「自分のためでもある」と志野さんは言う。
 TTTのメンバー小山綾さん(16)=石巻市桜坂高2年=も、被災したプラットホームが残るJR仙石線旧野蒜駅で語り続ける。「野蒜の現状、震災前の姿を周囲の人にも伝えてほしい」と呼び掛ける。
 野蒜地域は震災前、約1600世帯、約4830人が暮らしていた。震災でほぼ全ての家屋が被災、約500人が犠牲となった。
 志野さんは使命感をにじませて話す。「今も同じ場所に立っているよ。祖父や亡くなった野蒜の人にそう伝えたい。そこで話すことが生き残った人の役目だと思う」
 大切な人が生きた地で、その死を考え、語り継いでいく。


2015年09月09日水曜日

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