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<山形市長選>非自民の市政続き半世紀

 任期満了に伴う山形市長選は、13日の投開票に向け、無所属新人の3候補が激闘を繰り広げている。市川昭男市長の市政運営の継承か刷新かが最大の争点。自民党が現職に相乗りした一時期を除き、非自民中心の市政が約半世紀続いており、3候補とも今回が継続か転換かの「剣が峰」と位置付ける。政党対決の構図にも深く関わる自民、非自民の県都争奪史を振り返る。

 非自民市政の発端は1966(昭和41)年、自民公認の大久保伝蔵市長が退任し、旧社会党公認の金沢忠雄氏が初当選したときにさかのぼる。自民が候補者を一本化できず、保守分裂の三つどもえの選挙となり、革新市政が誕生。金沢氏は以後、7期28年にわたり県都のトップに君臨する。
 自民は金沢氏が6選に挑んだ86年、党県議だった吉村和夫氏を擁立し、市政刷新を試みた。その後の市長選でも激突する「金沢VS吉村」の構図が始まった。
 吉村氏は90年に金沢氏、94年には金沢氏後継の佐藤幸次郎氏と戦い、いずれも敗れた。3度の壮絶な一騎打ちは「因縁の対決」とも呼ばれた。98年は吉村氏が立たず、自民は曲折の末に民主、社民、公明各党と佐藤氏の再選を後押しし、市政の流れは少しだけ変わった。
 だが、この間の政界再編と民主結党がその後、市政を再び非自民に戻すことになる。山形市が地盤の鹿野道彦元衆院議員が自民を離党し、新党結成を経て98年に民主党に合流。2000年の市長選では、鹿野氏直系の吉村氏が今度は民主などの支援を受け、自民推薦候補を破り初当選した。
 03年8月、吉村氏が任期半ばで死去し、助役の市川氏が後継として立候補。自民は独自候補を立てられず自主投票に甘んじた。市川氏は民主、共産、社民の共闘態勢で再選、3選と重ねた。自民は前回11年、久々に推薦候補を擁立したが、市政転換は成らなかった。


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2015年09月10日木曜日

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