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<検証避難>終わり見えず。いつ戻れるか

福島県大熊町の菊地さんが住んでいた家の近くにあるバリケード。通行証なしで帰宅できるのはいつになるのだろうか

◎震災4年7カ月(1)転々と

<家族や地域分断>
 4カ月で5カ所の避難先を転々とし、たどり着いたのが今も身を寄せる福島県会津若松市の仮設住宅だった。
 整体師の菊地秀明さん(46)は、福島県大熊町で妻と母と暮らしていた。2011年3月12日早朝、集会所に集められ、すぐに逃げるよう求められた。約4キロ離れた東京電力福島第1原発はこの日午後、1号機が水素爆発した。
 どこに、いつまで避難すればいいのか−。道しるべは何もない。終わりの見えない避難生活が始まった。
 自家用車で逃げた田村市総合体育館で数日過ごした。混乱を極める状況下の劣悪な環境に耐えられず、妻と福島県石川町の親戚宅に移った。高齢の母は須賀川市の別の親戚宅に預けた。
 長居して避難先に迷惑を掛けられないと、福島県猪苗代町の宿泊施設、東京の親戚宅やアパートに次々と移った。「東電や国は頼りにならない。自分で考え、行動するしかなかった」と菊地さんは振り返る。
 会津若松市の仮設住宅から福島県三春町の災害公営住宅へと仮住まいは続く。「肝心の自宅は帰還困難区域。いつ戻れるのか」
 日常をいや応なしに奪った強制避難。個々の家族に事情があり、避難の形は一様ではなかった。避難の広域化、長期化は家族や地域の分断などさまざまな問題を引き起こしている。
 国は早期帰還を促そうと除染と避難指示解除を進める。ただ放射線量は事故前の数値には戻っていない。
 福島県が2月に実施した避難者調査では、帰還する上で放射線の影響を気にする世帯は45.2%。国が安全だと判断し避難指示を解除する基準は、住民の安心感と必ずしも合致しない。

<国策に揺れ動く>
 福島県浪江町から福島県南相馬市に避難する根岸淑子さん(72)は「解除されても人が住まない町になりかねない」と不安げに語る。
 夫と長男夫婦、孫4人の3世代8人で暮らした自宅は居住制限区域内。いま長男はいわき市で単身で働き、嫁と孫は静岡県に住む。
 夫は昨年10月、避難生活のストレスで飲んだ酒も影響し肝硬変をこじらせて亡くなった。いつの間にか独りぼっちの生活になった。
 幸せな記憶を刻む古里に思いは強いが、すんなり帰るとは言えない。「まだたぶん住める状況でない。放射線に色が付いていたら今も大変な状態であると分かるはず」との見方を示す。
 国が敷く帰還政策のレールに避難者の感情は複雑に揺れ動く。レールから一度外れたら支援を受けられなくなるかもしれない。そんな不安も頭をよぎる。
 福島の避難者からの聞き取りをしている首都大学東京の山下祐介准教授(地域社会学)は「住民側に立った避難政策になっていない。最近は、いつまでも税金で避難者の面倒を見られないとの姿勢が政府にみられ、放射線への不安が残ったまま早く帰還を進めようとしている」と指摘する。
 初めのうち半ば放置され、時がたち再び難しい選択を迫られる避難者。「自分のことを自分で決めるという自治がないがしろにされている。このままでは切り捨てられる住民が出る」と山下さんは警鐘を鳴らす。
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 東日本大震災と福島第1原発事故は、数多くの被災者を避難生活に追い込んだ。長い仮住まいと分断を強いるものであり、指定された避難先で命を奪われる悲劇があった。教訓と向き合いありようを再考する模索が続く。避難の視座から、この4年7カ月が問い掛けるものを検証する。(震災取材班)=5回続き


2015年10月19日月曜日

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