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<検証避難>被ばくリスク 重い選択迫る

除染で除去された土の仮置き場(左奥)を見ながら被ばくの懸念を語る藤田さん=福島市

◎震災4年7カ月(2)自主判断

<厳しい二重生活>
 東京電力福島第1原発事故による避難者は、避難指示区域の住民だけでない。区域外からも多くの母子が福島を離れ、今も自主避難生活を送っている。
 福島市の女性(40)は2011年夏、夫(43)を残して当時小学4年と幼稚園児だった息子2人と山形市に移った。
 自宅のある福島市渡利地区は市内の中でも放射線量が高かった。女性は山形からたまに福島に戻っても家の窓を開けず、子どもを外で遊ばせていない。
 山形では被ばくを心配しなくていい日々を過ごせるが、山形に戻る車中は涙がこみ上げる。「何でこんなことをしているんだろう」
 長期化する二重生活は金銭面でもきつい。家族みんなで自宅で暮らしたい。けれども放射能汚染が気になる。何度考えても正解が分からない。
 原発事故の後、福島市の空間線量は最大で毎時24マイクロシーベルトを記録した。現在は0.20マイクロシーベルトほどに低下。国が一般の年間被ばく線量の限度とする1ミリシーベルトの目安、毎時0.23マイクロシーベルトを下回ってはいる。しかし側溝や河川敷では局所的に高い所がある。
 経済的、精神的負担の大きい避難と、被ばくの不安を抱きながらの福島での生活。てんびんに掛けて自主避難者たちは迷い、悩む。
 国は「原発事故子ども・被災者支援法」の基本方針改訂を決め、避難指示区域以外は「新たに避難する状況にない」と明記した。
 自主避難者に対する数少ない支援策の福島県の借り上げ住宅提供は17年3月に終わる。14年末の推計で約7000世帯2万人いる県外自主避難者は、避難継続か帰還かを迫られる。

<知識を学び発信>
 「逃げること、とどまること、避難先から戻ること−三つの権利を認めた支援法の理念からすると、筋が違う」。福島市から山形市に子ども2人と避難した藤田亜希子さん(42)は原子力災害という特殊性を訴え、長期的な支援を求める。
 12年1月に1万3000人を数えた山形県への避難者はことし9月、約3400人にまで減った。
 帰還後も不安が消えたわけではない。親の介護などのため山形市の避難先から郡山市の自宅に戻った遠藤利佳子さん(40)は「帰りたくなかった」とこぼす。
 現在の空間線量は約0.12マイクロシーベルトほど。子どもの被ばくを防ぐためのさまざまな取り組みを徹底している。「最大限警戒したい。後でやり過ぎだったと笑えるなら、それでいい」
 低線量被ばくの長期的影響は不明な点が多い。放射能の知識や被ばくリスクの理解は個人差が大きい。
 「大丈夫と思い込むようにしている人もいるし、全く気にしない人もいる。母親同士でも意見が違うので、放射能の話題は口に出せない」。放射線の測定や相談会を行う福島市のNPO法人「ふくしま30年プロジェクト」の理事、佐原真紀さん(43)は分断を憂える。
 佐原さん自身も事故後は福島市からの避難を望んだが、家庭の事情で諦めた。「福島に残るからには正しい情報が必要だ」と放射能から身を守るための知識を学び、発信する。
 それぞれの立場や考えで全てを判断せざるを得ない現実。重い選択が個人に背負わされ続ける。


2015年10月20日火曜日

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