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鯨の町写し60年 盛衰・復興1000枚

昭和20年代後半から30年代にかけて、鹿井さんが撮影した鯨まつりの光景。パレードにはタコの模型を屋根に載せた三輪トラックが登場(左)。仮装した参加者は巨大な鯨形の山車と記念撮影(右上)。ミスコンテストも呼び物の一つだった(右下)
愛用のカメラを手に鮎川浜を見つめる鹿井さん。左奥は被災した「おしかホエールランド」に展示されていた捕鯨船第16利丸

 日本有数の捕鯨基地として栄え、東日本大震災で甚大な被害を受けた石巻市鮎川浜で、地元のアマチュア写真家鹿井清介さん(83)がシャッターを切り続けている。60年余りに撮影した写真は優に1000枚を超える。「鯨の町」の盛衰や復興に向かう姿を捉え、地域の歴史を物語る貴重な資料となっている。

 鹿井さんは仙台市出身。1945年の仙台空襲で自宅が焼失し、家業の大工仕事が増えていた鮎川浜に移り住んだ。父の趣味だった写真に興味を持ち、19歳で念願のカメラを購入。大工道具と一緒に持ち歩いた。
 主に地域の行事や生き生きと暮らす住民を、ファインダー越しに見てきた。住民総出の鯨まつりは仮装パレードや鯨形の山車が目抜き通りを練り歩き、波止場は出港する捕鯨船や見送りの家族がひしめいていた。
 82年に商業捕鯨の禁止が決まり、浜に転機が訪れる。最盛期に約1万4000人だった住民は3分の1に減少。鯨まつりも盛り上がりが薄れていった。
 震災の津波が追い打ちを掛けた。鹿井さんは高台にある自宅が無事だったが、変わり果てた地域に一時は写真を撮る気力を失った。それでも「震災の記録を次世代に伝えたい」と奮い立ち、再びカメラを手にするようになった。
 撮りためてきた写真は2年前、初めて公開された。鮎川浜で被災した民俗資料の保全活動を進める東北学院大の加藤幸治准教授(民俗学)が知人を通して存在を知り、仙台市などで開いた企画展で紹介した。
 来年には地元で展示されることが決まった。鹿井さんは「浜が活気にあふれていたころを思い出し、住民が震災から立ち直るきっかけになれば」と願っている。


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2015年10月31日土曜日

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