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<仙台東西線>市民の足フル活用 官民連携を

仙台市若林区の荒井駅上空から市中心部を望む。東の起点駅周辺で新市街地の形成が進む=6日午前11時5分ごろ

 仙台市地下鉄東西線の開業に至る道のりは、高低差の大きいルートと同様、平たんではなかった。採算性を問う声は当初から根強く、計画も二転三転。建設工事中には東日本大震災に見舞われた。「21世紀のまちづくりに不可欠」と市が強力に推進し、2路線目の地下鉄を実現させた。
 東西線構想が浮上したのは1979年。「東西交通軸」を掲げ、JR仙石線の地下化に伴う西公園(青葉区)までの延長と、西公園から西部の住宅地に向かうモノレールの整備を組み合わせる計画が検討された。
 その後、整備時期や経路などをめぐり20年近く迷走し、98年に地下鉄の整備とルート案が固まった。人口増時代から人口減社会に移り、東西線に託される役割は一変。郊外に広がる団地住民の足の確保を目的としていたのが、地下鉄沿線に人口を集中させる「コンパクトシティー推進の武器」(市幹部)へと変わった。
 震災後、東の起点の荒井駅(若林区)周辺には被災者向けの集団移転用地や災害公営住宅が整備された。新市街地の形成が急速に進み、復興のけん引役という新たな使命も背負う。
 東西線は総事業費2298億円の巨大事業だ。利用者を増やす施策が重要だが、沿線の開発は市が想定したほど進んでおらず、前途は楽観視できない。
 市は1日当たりの需要予測を13万2000人(98年)から13万人(02年)、11万9000人(03年)と下方修正を続け、12年に8万人とした。市民の足としてフル活用するため行政、民間双方の知恵が求められる。
 開業前日の5日、システムの不具合で列車が緊急停止するトラブルがあった。根本的な原因が判明しないまま開業を迎えたが、安全確保は大前提だ。早急な原因究明が新地下鉄を軌道に乗せるための第一歩となる。(解説=報道部・熊谷吉信)


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2015年12月07日月曜日

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