岩手のニュース

<被災地の教師たち>引きこもり 悩み共有

5日の会合開始前に来場者を笑顔で迎える佐々木さん(左)。「光が見えないにしても少しでも楽になることが大切」と訴える

 東日本大震災の被災地で、教師やOBたちが奮闘している。命の尊さを伝える。古里への思いを育む。震災の教訓を糧に次世代への礎を築いている。さまざまな思いを抱き、活動する20〜60代の5人の熱い鼓動を伝える。(石巻総局・水野良将)

◎(1)向き合う/陸前高田市広田小元校長 佐々木善仁さん

<妻に任せきり>
 震災直後の2011年3月末、学校現場を退き、引きこもりやその家族らの居場所づくりに第二の人生をささげる。
 岩手県陸前高田市広田小の元校長の佐々木善仁さん(65)は震災の津波で、ともに自宅にいた妻みき子さん=当時(57)=、次男仁也さん=同(28)=を亡くした。仁也さんは高校卒業以来、約10年間、自宅に引きこもっていた。
 引きこもりの家族会を設立しよう。佐々木さんが呼び掛け人となり、陸前高田市内で5日、設立準備の会合があった。佐々木さんが当事者や支援者ら約30人に本音を打ち明ける。
 「息子のことはほとんど妻に任せていた。きちんと向き合わなかったことをすごく後悔しています」

<次男が不登校>
 旧高田町(現陸前高田市)に生まれ、1975年に教員となった。早朝に出勤し、夜遅くに帰宅する。そんな日々が続いた。家族と食事のテーブルを囲むのは主に日曜のみ。「よほどのことがない限り、家庭より学校が優先でした」
 仁也さんは中学2年の時、不登校となった。陸前高田市から岩手県釜石市の学校へ転じたのがきっかけだった。盛岡市内の高校を経て01年に自宅に戻ったが、仕事はせず、自室のドアとカーテンを閉め切ったままだった。みき子さんが1日2回、食事を用意した。
 みき子さんは07年、親同士で苦悩を分かち合う「気仙地区不登校ひきこもり父母会」をつくった。夫婦で散歩していた時、みき子さんがこぼした言葉が佐々木さんの脳裏を離れない。
 「私たちが先に死ぬ。将来自活できるよう、仁也には一日でもいいから働いてほしい…」
 仁也さんが「このままでは駄目だ」と漏らしたことがある。何もしなくてもいい、俺の息子だからいつかは立ち直る、と佐々木さんは信じていた。
 11年3月11日。海から約2キロ離れた自宅を津波が襲った。

<家族会設立へ>
 仁也さんは外に出なかった。みき子さんは仁也さんに逃げるよう呼び掛けた後、海の方角へと流され、行方が分からなくなった。
 広田小校長だった佐々木さんは学校で、児童や教職員の安否確認、学校への避難者の対応に追われた。
 佐々木さんが遺体安置所で仁也さんと対面したのは3月下旬。人目をはばからず、声を上げて泣いた。4月中旬、同じ安置所で妻の亡きがらを引き取った。
 教壇を去った佐々木さんは、父母会の活動に奔走してきた。みき子さんとの約束だった。その延長として、引きこもりに特化した家族会の発足を目指す。
 「当事者や家族らが悩みを共有できる受け皿が地域に必要。周りの理解が大事なんです」。引きこもりと向き合う覚悟だ。


2015年12月09日水曜日


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