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<被災地の教師たち>大川小から命伝える

大川小を見学後、生徒と意見を交わす佐藤さん(奥右)。「多くの子どもたちが亡くなったことを忘れないでほしい」と願う=10月26日、石巻市の石巻専修大

◎(2)守る/東松島市矢本二中元教諭 佐藤敏郎さん

<わが事として>
 「みんなは娘と同級生だよね? ここで同じ年の子どもたちが亡くなった事実と向き合ってください」
 秋の日差しが優しい10月26日、宮城県石巻市大川小の校庭。同小6年だった次女みずほさん=当時(12)=を亡くした元中学校教諭佐藤敏郎さん(52)=石巻市=が、東日本大震災の津波で児童と教職員計84人が犠牲になった悲劇に触れ、呼び掛ける。
 話に耳を傾けるのは、研修旅行で訪れた湘南学園高(神奈川県藤沢市)の2年生約50人。堤明彦君(17)は、佐藤さんと校庭近くの裏山を歩いた。
 「簡単に登れた。大川小の子どもたちに助かってほしかった。生きていたら、同じように制服を着て高校に通っていたかもしれない」。学校管理下で起きた前例のない惨事をわが事としてかみしめた。
 佐藤さんは3月末まで、宮城県東松島市矢本二中で防災担当主幹教諭を務めた。配布していた「防災だより」のキャッチフレーズは「もしもはいつもの中にある」。生徒たちに備えの大切さを伝えてきた。
 「学校の枠を超え、いろいろな人とつながり、世の中に貢献したい」。震災前から模索していた思いを実践するため教員を3月で退職した。現在は、小さな命を守る場を社会へ広げるため、被災地支援のNPOなどの活動として、全国各地で教員時代の話や大川小の出来事を語る。

<校庭で「なぜ」>
 活動の合間を縫って大川小の校舎へ通う。津波で盛り上がった教室の床。むき出しの鉄骨。廊下には児童一人一人が上着などを掛けていたフックがある。
 フックの上に「佐藤みずほ」と書かれたシール。佐藤さんが穏やかに語り掛ける。「元気でやってるか?」。通訳を夢見ていた娘が中学、高校へと進むのは当たり前だと考えていた。
 あの日、みずほさんらは地震発生から約50分間、校庭にとどまった。佐藤さんは何度も校庭に立ち、自問した。自分ならどう動いたか。答えの大半は「裏山へ」となる。
 疑問が浮かぶ。「裏山に逃げよう」と言った児童がいた。先生は誰もが子どもの安全を考えるはずだ。先生の間で、命を最優先することが共有されていなかったのではないか。

<直接対話願う>
 震災時に学校にいた教職員11人のうち、唯一生存する男性教諭がいる。関係者によると、教諭は震災後に心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症し、治療を受けているという。
 佐藤さんは渇望する。「彼は申し訳ないと思っているはず。直接会い、生き残ってくれてありがとう、血の通った対話をしよう、と伝えたい」
 みずほさんが一緒にいる、と感じることがある。「防災とは『行ってきます』と言ったら、必ず『ただいま』と言うこと。亡くなった子どもたちの命に意味を持たせたい」
 命を守る。元教師、そして父親として心に誓う。


2015年12月10日木曜日

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