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<被災地の教師たち>記憶つなぐ語り部に

震災当時の閖上中の様子などを語る藤村さん。「子どもたちの成長した姿を見ていると、自分も先を見ないといけない」と自らに言い聞かせる

◎(3)踏み出す/名取市閖上元教諭 藤村崇さん

<教え子も犠牲>
 現役の教師が公の場で、東日本大震災の被災体験や教訓、思いを赤裸々に語った。宮城県富谷町の成田中教諭藤村崇さん(41)。震災当時は名取市閖上中で2年1組を受け持っていた。
 「海の方を見ると、竜巻を横にしたような砂煙が見えました。その光景は今も忘れられません」
 震災から4年7カ月となった10月11日、名取市閖上にある震災伝承の拠点「閖上の記憶」で、語り部としての一歩を踏み出した。約30人の聴衆が、息を殺して耳を傾ける。
 藤村さんが震災を振り返る。指定避難場所だった閖上中には、多くの住民らが集まった。巨大地震発生から1時間余りが過ぎたころ、校庭にいると背後から大きな音がした。「ゴーッ」「バキバキ」。振り向くと津波が迫っていた。
 「こっち来い! 早く走れ」。避難者を3階建ての校舎へ誘導した。校舎内はパニックに陥った。「屋上へ上がらせろ!」
 藤村さんは2階の職員室へ急いだ。壁から落ちた多くの鍵の中から、「屋上」と書かれた一つを見つけた。群衆をかき分け、屋上へ出た。黒い波が閖上の街をのみ込んでいた。しゃがみ込むと立ち上がれなくなる気がして、必死に踏みとどまった。
 2011年3月11日は卒業式だった。下校後、生徒14人が犠牲となった。担任の2年1組では4人が尊い命を落とした。

<全行事を実施>
 仮校舎となった名取市不二が丘小。同年4月に開かれた閖上中の始業式で、同級生や家族らを失った3年生の女子が誓った。「一日一日を悔いのないよう大切に生きていきたい」
 藤村さんら教職員はこの言葉を深く心に刻んだ。「一日を大切に生きる」。修学旅行や合唱コンクール、文化祭…。震災前と同じように全ての学校行事を実施した。
 12年3月。卒業生代表が「例年通り全ての行事をしていただいたおかげで、大切な思い出を作ることができました」と謝意を述べた。
 藤村さんは涙が止まらなかった。「子どもたちの頑張りで成り立った一年だった」。自分もできることをしなければ。そんな思いが湧き上がった。

<心の傷越えて>
 語り部は閖上中遺族会の依頼がきっかけだった。
 遺族会のメンバー丹野祐子さん(47)は「あの日、閖上中であったことを聞きたかった」と言う。震災後、さまざまな先生と接し、「学校に避難して来いと生徒に教えられなかったことは一生の汚点です」「もう震災と向き合えません」という声を聞いた。
 丹野さんは思う。「先生も生身の人間で心に傷がある。それでもあの日と向き合い、語り続ける。そう誓った藤村先生はすごい」
 藤村さんはいま、内陸の成田中で防災主任を担う。ことし3月には全校生徒約600人に震災時の閖上中のことを伝えた。
 防災教育に込める思いは一点に尽きる。「次の震災では犠牲者を出したくない」。不退転の決意で歩む。


2015年12月12日土曜日

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