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祈り双葉へ届け「命ある限り合掌」

旧騎西高の正門前で、手を合わせ黙とうする関根さん(右)と森さん=11日午後2時46分、埼玉県加須市

 東日本大震災の発生から4年9カ月となった11日、東京電力福島第1原発事故で福島県双葉町から埼玉県加須市に避難している関根茂子さん(65)は、避難所だった旧騎西高の正門前で黙とうをささげた。津波で叔父家族3人を亡くした。毎月11日に欠かさず、同じ場所で3人の冥福を祈る。
 震災で双葉町は十数メートルの津波に襲われ、関根さんの実家を継いだ叔父辻本毅さん=当時(79)=、辻本さんの長女喜美子さん=同(51)=と孫考司君=同(16)=が犠牲になった。
 午後2時46分、関根さんは双葉町の方角に1分間、手を合わせた。「私の孫が七五三のお参りをしたこと、喜美子の誕生日の11月30日にケーキを買って家族で祝ったことなど、1カ月の出来事を報告しました」
 関根さんが原発事故前に勤めていた町内の和菓子店の店主で、孫が考司君と同級生だった森正夫さん(72)も一緒に目を閉じた。
 双葉町は一時、旧騎西高校舎に役場ごと避難。町民約1400人が暮らした。関根さんは2011年4月2日、避難所となった校舎に入った。その月の11日から、避難所にいるときは校舎の前で、13年12月に避難所が閉鎖され、借り上げ住宅に移ってからは正門前で森さんと黙とうを続ける。
 「避難し生きる気力を失っていたとき、加須の人たちに励まされ、元気になった。騎西高は特別な場所。ここで3人に話し掛けると、胸がすっとして穏やかな気持ちになる」
 毎月11日の4、5日前、布団に入っていると、明け方に3人のにこにこした顔が目の前に浮かび、自然と涙が流れる。最初は「町に帰れず、供養が足りないからだ」と落ち込んだが、友人に「あなたが一生懸命に黙とうしているから、笑っているんだよ」と言われ、気持ちが楽になった。
 双葉町は大半が帰還困難区域で、帰還のめどは立たない。実家の墓は津波で流された。旧騎西高での黙とうは57回を数えた。
 「本当は双葉に帰りたい。でも今は、加須が第二の古里。命ある限り、月命日にここで祈り続けたい」


2015年12月12日土曜日

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