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<もう一度会いたい>知りたかった その先

最終報告を受けて記者会見する浩行さん(右から2人目)ら遺族。提訴の意思を表明した=2014年2月23日、石巻市

◎(12)報告 踏み込み甘く

 第三者委員会の初会合の場は豪華な宴会場だった。
 2013年2月。宮城県石巻市の大川小事故検証委員会の第1回会議が市内のホテルで開かれた。震災から丸2年になろうとしていた。
 華やかな会場の雰囲気に今野浩行さん(53)と妻ひとみさん(45)は違和感を覚えた。教育行政史最大の惨事の真相解明を図る場としては不釣り合い過ぎる。

<対立先鋭化>
 大川小は震災の津波で児童74人、教職員10人が死亡・行方不明となった。全校生の7割。死者の中には長男で6年の大輔君=当時(12)=がいた。
 検証委は市が設けた。
 事故をめぐってはそれまで親と市教委が説明会を通じて直接協議していた。
 親は「人災」と追及する。市教委は「天災」と防御する。対話は深まらず、対立が先鋭化した。信頼関係は修復困難となり、市は事実解明を第三者に委ねた。
 遺族は検証委設置に不満がないわけではなかった。
 設置は唐突に市議会に提案された。市教委との関係はぎくしゃくしているとはいえ、今後も話し合いを続ける気でいた。それが第三者にバトンが渡り、はしごを外された思いを味わう。
 それでも、第三者による客観的な検証なら真相解明に近づく望みが持てた。
 地震発生から津波襲来までの50分間、なぜ子どもたちは校庭に留め置かれたのか。なぜ津波の来る川に向かって避難誘導したのか。
 知りたいことが解き明かされる期待が不満をしのぐ。
 「息子は『山さ逃げよう』と先生に訴えたと聞きました。このまま校庭にいたら死ぬと分かっていながら50分間過ごした恐怖を想像すると胸が張り裂けます」
 第2回委員会でひとみさんが意見陳述した。
 大輔君の訴えは避難の判断ミスを裏付ける重要な手掛かりだ。市教委の調査では無かったことにされた。
 検証委はその年の7月、中間案を発表した。
 浩行さんは目を疑う。
 あの50分間に触れた記述がない。
 学校の防災体制の不備についてはスペースを割いて問題点を指摘している。だが、当日の状況は気象、地震情報を示しただけ。避難行動に関する直接的な言及は見当たらなかった。

<期待しぼむ>
 中間案は正式には「中間取りまとめ案」と称した。最終報告の下敷きとなる「中間報告案」からいつの間にか後退していた。
 検証委に抱いた期待がしぼんでいくのを実感する。
 最終報告は翌年2月に出た。中間案の7カ月後だ。
 <教職員の避難開始の意思決定が遅れ、河川に近い三角地帯を避難先に選択したことが直接的要因>
 それは検証委に聞くまでもない。はなから分かっている。
 知りたいのはその先だ。
 <教職員が切迫した津波の危険性を感じていなかった>
 <なぜ三角地帯を目指したのかは関係者が死亡し、明らかにできなかった>
 踏み込み不足。未解明。
 報告は遺族の求める水準に達していなかった。
 <生き残った児童から『亡くなった子が山への避難を強く教職員に訴えていた』と聞いた保護者もいる>
 大輔君の訴えに関する記述は一文にとどまった。
 知りたいことを知ることができない。
 ずっとまとわり続けるストレスから解放されない。
 浩行さんら遺族は記者会見した。
 「真相を明らかにするため法的手段を検討する」
 提訴の時効まで20日を切っていた。


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2015年12月16日水曜日


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