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<TPP>かつての熱は? 反対のうねりなし

TPP推進側の外務省前でデモ行進する県農協中央会のメンバーら。農家の熱気を感じさせる場面は少なくなった=2010年11月、東京

 農村部が環太平洋連携協定(TPP)の大筋合意に揺れた1年が暮れようとしている。米価低迷や生産調整(減反)決定と、農業を取り巻く環境は厳しいが、有数の農業地帯、宮城県北に反対の大きなうねりはない。かつてコメ市場の部分開放決定などで激しい反対闘争を展開した農家や元農協幹部らは今、何を思うのか。
 「米価闘争などでは、むしろ旗を掲げて鉢巻きを締め、国会前で座り込みをした。年中行事だった」
 栗原市若柳の専業農家の男性(68)は19歳で就農し、22歳から45歳まで青年部に籍を置いた。「みんな血気盛んで、仲間同士が殴り合いになるほど。燃えていた」と1980〜90年代を振り返る。当時の雰囲気は「国に要求すれば何とかなるという期待があった」。
 コメ部分開放を決めた関税貿易一般協定(ガット)ウルグアイ・ラウンド交渉を決めた1993年が、日本農業の転換点だった。
 折しも同年は大冷害。「手厚い補償がもらえ、そこから全中(全国農協中央会)は政治家の言いなりになった。デモ行進はぴたりとなくなった」と証言する。
 この時期から農業構造は変わった。県によると、90年に県内に約10万戸あった農家は、2010年に6万5000戸に減少。農業従事者は60歳以上が7割を占め、1995年より20ポイントも増えた。高齢化が進み、運動を担う若者は減った。
 「あの時は農協が農家を引っ張っていた」と話すのは、元みやぎ登米農協組合長の阿部長寿さん(80)。部分開放のころ県農協中央会参事として各界の連絡会議を組織し、県民運動を盛り上げた。
 2014年は概算金が過去最低水準まで落ち込んだ。13年には減反廃止を含むコメ政策の転換があった。農協が「農業が壊滅する」と猛反発したTPPは、政府に押し切られた。
 「農家は『おかしいな』と肌で感じている」と阿部さんは指摘。「TPPは条件闘争になり、本質的なところを突く運動になっていない。今のままでは農協から農家が離れていく」と農協の主導性を求める。
 一方、1993年に若柳農協組合長と県農政連幹事長を務めていた前県農協中央会長の菅原章夫さん(72)は「今、単位農協で行動を起こすのは難しい。さらに全中は農協改革で組織が骨抜きにされた」と天を仰ぐ。
 農協運動に加わらなかった稲作と畜産の農家、関村清幸さん(63)=栗原市築館=は「農家は高齢化が進み、農業をやめようとしている。後継者が継ぐメリットもない」と農家から声が上がらない背景を解説。「本当にやる気のある農家を補助する農政にしないと農村部は再生できない」と保護農政からの脱却を訴える。


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2015年12月28日月曜日

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