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<3.11と今>離れても故郷忘れず

津波で流された衣装の復元を依頼した呉服屋で、師匠の佐々木さん(右)に着付けをしてもらう綾花さん(中央)=昨年12月24日、二本松市
震災後初の請戸田植踊の舞台で友達と記念撮影する綾花さん(後列左から2人目)=2011年8月、いわき市

◎子ども 成長の春(2)柴綾花さん

 津波と原発が自宅も友達も根こそぎ奪い取った。暗闇から助け出してくれたのは、古里に伝わる伝統の踊りだった。
 東京電力福島第1原発事故で全町避難が続く福島県浪江町。福島県二本松市に身を寄せる高校3年の柴綾花さん(18)は、同町請戸地区に伝わる豊作祈願の伝統芸能「請戸田植踊」の踊り子だ。震災発生当時は中学1年生だった。この春、仙台市内の大学に進学する。
 2011年3月11日、海岸から2キロの自宅は津波で流され、翌日、原発が爆発した。南相馬市と川俣町、会津若松市の避難所を転々とし翌月、二本松市の借り上げ仮設住宅に落ち着いた。
 中学2年になった新年度、市内の中学校に転入したが、制服が間に合わなかった。避難所への物資支援でもらった私服を着て初登校した。クラスの視線が気になった。
 浪江は海に面し、二本松は山に囲まれる。土地柄の違いは気性や言葉遣いにも表れた。「私、浮いているな」。休み時間が苦痛でならなかった。
 浪江の友達とは満足にお別れできなかった。春休みは先生に隠れてゲームセンターで遊ぶはずだった。「会いたいな、どうしているかな…」。友達の自宅の電話番号は覚えていた。でも役に立つはずもなかった。
 
 ある日、妹の優花さん(15)が泣きじゃくって帰ってきた。同じようにクラスになじめていなかった。「泣きたいのは私なんだけど」。思わず、妹を責めた。
 「田植え踊り、もう一度やらない?」。11年7月、踊りの師匠で請戸芸能保存会の佐々木繁子さん(65)から誘われた。「友達に会えるかも」。二つ返事で参加した。
 1カ月後、いわき市の水族館「アクアマリンふくしま」で浜通りの伝統芸能を披露するイベントに招かれた。「請戸田植踊」復活の舞台だ。衣装に袖を通すのは1年半ぶり。18人の仲間と共に約300人の観客が見詰めるステージに上がった。
 民謡に乗って踊り始めると、観客席が目に入った。請戸のお年寄りが、涙を流しながら一緒に民謡を口ずさんでいた。
 踊りは約300年前、地区が凶作に遭ったのを機に始まった。「こんなに感動を与えられるなんて…」。町民が故郷を感じられる大切な時間になった。13年5月には、60年ぶりに遷宮が行われた島根県の出雲大社で踊りを奉納した。

 高校では吹奏楽部の練習で忙しくなったが、踊りをやめようとは思わなかった。「踊り続けることで、自分の中で何かが消化されていく」。友人との仲を引き裂かれたつらい記憶が薄れ、町民が集う楽しい思い出が上書きされる。
 大学では保育士の資格取得を目指す。踊りの練習で年下の児童の面倒を見る中で、幼いころからの夢を強く意識するようになった。
 「踊りは正直、いつまで続けられるか分からない」と綾花さん。それでも「請戸を忘れないでという気持ちはずっと変わらない」
(桐生薫子)


2016年01月03日日曜日

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