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<東北を興せ>「秋田美人」観光資源に

舞妓と笑顔で打ち合わせする水野社長(右端)

 古里に戻る「U」、都市から地方へ移り住む「I」、大都市を経て出身地以外の都市に移住する「J」。いわゆるUIJターンで東北に来て起業する人が増えている。都市からの人口還流は地方の再生に欠かせない。彼らは東北のどこに引かれ、何を求めて来たのか。姿を追った。(報道部・安住健郎)

◎UIJターンの挑戦者たち(1)せん社長 水野千夏さん

<1年で帰郷>
 10月の雨が、水野千夏(27)の人生を変えた。
 2011年、東京・渋谷。朝のスクランブル交差点は勤め先へ急ぐ会社員や朝帰りの若者でひしめく。かき分けるほどの人混みで傘は役に立たず、しの突く雨に服はびっしょりぬれた。
 「なんでこんなところにいるんだろう」。社会人1年目、東京に来てから5年。初めて里心がついた。
 「帰っていい?」。昼休み、秋田の実家に電話した。「どうぞ。帰ってくれば家賃はタダよ」。母はそっと背中を押してくれた。
 秋田市内の高校から神奈川の大学へ進んだ。サークル活動にアルバイト、充実した4年間。「秋田に帰るなんて想像もしなかった」。だが社会は甘くなかった。
 就職先は若い女性に人気の化粧品会社。百貨店で販売員として働いた。仕事は楽しかったが毎日同じことの繰り返し。「私がいなくても、ここの職場は回る」。存在意義を見いだせない日々。1年で区切りを付けて古里に戻った。

<認知度抜群>
 一度都会を見てしまった目に、秋田の街並みは寂しく映る。「どうしたら人が来てくれるのか」。起業のアイデアを練るうち、一つの答えにたどり着く。「秋田美人の産業化」だ。
 昔から不思議だったことがある。秋田出身と言うといつも「美人どころだね」と返される。なまはげやきりたんぽを知らなくても「秋田美人」は知っている。
 「でも、これだけ有名な言葉なのに付加価値がつけられてなかったんですよ。もったいない」
 昭和初期、秋田市の繁華街・川反には150人近い舞妓(まいこ)衆がいたが、10年ほど前に途絶えた。「再興させて『いま会える秋田美人』を生み出せば大きな観光資源になる」。14年春、舞妓を育て、地域の財産として生かす会社「せん」を同市で立ち上げた。

<2年目黒字>
 社員の舞妓は3人。京都などで学んだ流儀を自らも指導した。最初の数カ月は全く仕事が入らなかったが、今はイベントやお座敷に連日のように呼ばれてフル回転が続く。2年目の本年度は黒字化が見えている。この春にも、舞妓に会える常設の拠点を市内に開く。
 会社をつくった直後に結婚した。夫の勇気(33)はバスケットボールTKbjリーグの秋田ノーザンハピネッツを運営する秋田プロバスケットボールクラブ社長。東京出身のIターン起業者だ。
 「子どもは3人くらい欲しい。子育てをして、会社の経営も続ける。秋田にいても楽しい人生が送れることを、自分の子どもや若い世代に伝えたい」(敬称略)


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2016年01月05日火曜日

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