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<3.11と今>必要とされる大人に

新成人と新社会人への期待を膨らませ、地元の海岸を歩く梶原さん=昨年12月29日、気仙沼市
階上中卒業式で答辞を読む梶原さん。会場の体育館は避難所でもあった=2011年3月22日、気仙沼市(階上中提供)

◎子ども 成長の春(5完)梶原裕太さん

 久しぶりに帰省した宮城県気仙沼市の自宅のそばに、一戸建ての災害公営住宅ができた。一関高専5年の梶原裕太さん(20)=岩手県一関市=は「どんどん風景が変わる」と驚く。
 東日本大震災を経験した若者の中には、5年の間に地元を離れた人も少なくない。梶原さんもその一人だ。2011年3月、気仙沼市階上中を卒業。卒業生代表として読んだ答辞が全国の反響を呼び「文部科学白書」に掲載された。
 一関高専で5年間寮生活を送り、この春に東京の地盤改良会社に就職する。配属先は首都圏が見込まれている。
 「いま、自分が気仙沼に戻っても微力ですから。社会経験を積まないと」。まなざしを海に向ける。
 震災が起きたのは予定されていた卒業式の前日。自宅の被災は免れたが、小学校からの同級生1人が命を落とし、2人が行方不明になった。式を3月22日に延期して開くと知り、「3年生57人全員がそろわないうちは卒業式をやりたくない」と先生に直談判した。
 「それでもやる。これを読むのはあなたしかいない」。式の数日前、自分で用意していた答辞の代わりに、学年主任の国語の先生から震災を踏まえた新たな答辞の原稿を渡された。
 「生かされた者として、顔を上げ、常に思いやりの心を持ち、強く、正しく、たくましく生きていかなければなりません」
 「苦境にあっても、天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていく」

 文章は、被災した人々の姿と重なった。避難先の階上中で、悲しみをこらえながら避難所運営を引っ張る大人たち。混乱の中、防災教育を受けてきた生徒も支援物資の運搬や食事の配膳などを率先している。
 3歳下の妹ら家族を残して進学することに迷いもあった。先生から渡された原稿の一部を自分の言葉に練り直し、何度も読み込み式に臨んだ。「何でこんなことになったのかと何度も思ったが、つらい出来事も受け止めて懸命に前に進む」。そう思えるようになった。
 高専に入るとプログラミングなどを学んだ。バレーボール部で休日も練習漬けの日々を送り、長期休暇の時だけ帰省した。

 就職先を決めたのは、昨春、高専で見た企業求人ビデオに気仙沼市での造成工事の様子が映し出されたことが大きい。プログラムより、人の生活の基盤をつくる仕事ができることに期待感を膨らませる。
 気仙沼市で10日、成人式に出席する。飲食店を営む父親に「将来は気仙沼に戻ってこい」と言われたが、今は確約できない。
 「人の役に立ちたいという思いがすごくあって、これからが本当の仕事。成長したら、やっぱり気仙沼と思うかもしれない」
 誰かに必要とされることは、誰かの希望になる。そんな社会人像を描く。(高橋鉄男)


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2016年01月06日水曜日

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