岩手のニュース

<阪神大震災21年>岩手で娘犠牲 思い共有

神戸市であった展示会で、震災前の陸前高田市の写真を眺める藤田さん(右)と英美さん=9日

 阪神大震災は17日、発生から21年を迎えた。被災した兵庫県西宮市の藤田敏則さん(67)は、5年前の東日本大震災で岩手県陸前高田市に暮らす長女を失って以来、1月17日の朝に神戸市で毎年開かれている震災追悼行事に参加するようになった。「阪神の被災地にいながら、16年たって初めて家族を亡くした人と気持ちが共有できた」。東日本大震災の記憶の風化が進む関西で、娘が生きた東北への思いを強くする。

<お絵描き会で励ます>
 藤田さんの自宅から約1キロの公園に西宮市の犠牲者追悼碑が建つ。阪神大震災で市民ら1146人が亡くなった。「一人一人の周りにつらい思いをしている人がいてる」。散歩時に手を合わせる。東日本大震災の前は訪れることがなかった。
 陸前高田市職員だった長女の菊池朋さん=当時(29)=は避難先の市民会館で津波に遭った。震災発生の約2年前、大学時代に知り合った同市の男性と結婚。嫁いだ土地で職も得て、これからというときだった。
 阪神大震災で藤田さんの自宅は半壊した。近所の倒壊した家で下敷きになった住民の女性を助け出したが、既に息絶えていた。ギャラリーを営んでいた藤田さんは画材を集め、ボランティアでお絵描き会を開催。子どもたちの描く絵や明るい笑顔が周囲を励ました。

<常に関わっていたい>
 16年後に遠い地で起きた震災で、遺族になった。
 朋さんが遺体で見つかり、程なくして再び子ども向けのお絵描き会の準備に奔走。岩手県の沿岸各地で開いた。死を考えることを避けるように没頭した。
 中心部が壊滅的な被害を受けた陸前高田市と、日常生活が続く西宮市。環境があまりにも違った。「現実を受け入れないと」「何かの間違い。娘はまた帰ってくる」。気持ちが揺れ、整理がつかなかった。
 「風化を食い止めることはかなり難しい。当事者でないと分からないことがある」。岩手の被災地にいたときの方が心が落ち着いた。
 一度だけ朋さんが夢に出てきた。自転車をねだるとりとめもない内容に、「夢でしか会えないんだ」と涙があふれた。
 妻英美さん(62)と共に命日だけでなく年に4、5回、陸前高田市を訪れている。社会福祉士として高齢者の相談に乗り、本を買って慣れない方言を勉強していたこと、地域に溶け込んでいたこと。朋さんの深いつながりを知った。
 「常に関わっていたい」と、陸前高田市や東北関連のイベント情報をインターネットで探し、積極的に参加している。9日は神戸市で、陸前高田の人たちや街を記録した写真や映像の展示会を訪れた。
 高齢者の医療と保健福祉を地域全体でケアしようと、地元関係者が進める仕組みづくりに関わろうとしている。朋さんも携わるはずだった。「娘が生涯を過ごすと決めた場所でやり残したことを完結させたい」(坂井直人)


関連ページ: 岩手 社会

2016年01月17日日曜日

先頭に戻る