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<阪神大震災21年>二つの震災 悲しみ一緒

阪神大震災の犠牲者の冥福を祈る田村孝行さん(右)と弘美さん=17日午前6時ごろ、神戸市長田区の御蔵北公園

 東日本大震災の津波で死亡した七十七銀行女川支店(宮城県女川町)の元行員田村健太さん=当時(25)=の両親が17日、発生から21年を迎えた阪神大震災の遺族らと心を通わせた。128人が犠牲になった神戸市長田区の御菅地区で追悼。「大切な人を亡くした悲しみや苦しみは一緒」と思いを共有し、命の尊さを語り継ぐ必要性を再確認した。
 御菅地区にある御蔵北公園。住民有志による慰霊法要が営まれ、遺族らと共に健太さんの父田村孝行さん(55)と母弘美さん(53)が手を合わせた。
 年1回の法要は遺族らの心の支えになっている。地区は震災前、長屋が並び住民の行き来が盛んだった。弘美さんは「多くの顔見知りが亡くなり互いに深く思い合っている」と実感した。
 法要では再会もあった。毎年加わっている曹洞宗地蔵院(熊本県上天草市)の荒木正昭住職(56)は昨年5月、女川町を訪問。語り部として企業防災の向上を訴える弘美さんの話に耳を傾けた。荒木さんは「縁を大事に東北にも関わっていきたい」と話す。
 田村さん夫婦は近くの喫茶店に移り、住民有志代表の田中保三さん(75)や遺族ら約15人と向き合い、現在の真情を吐露した。
 四角いテーブルの中央には高さ約60センチの竹灯籠。「鎮魂のともしび」と縦書きがある。夫婦の来訪を聞いた遺族の魚住哲也さん(73)が作った。犠牲者128人と健太さんを結び付けてほしいとの願いを込めた。
 魚住さんは母秀子さん=当時(76)=を失った。穏やかな暮らしが一変し、家の焼け跡で遺骨を拾ったことを鮮明に覚えている。「21年たったいまも、母を助けられなかった寂しさや憤りがある」と明かした。
 孝行さんは阪神大震災を自分事と捉えなかった過去を反省し、御菅地区に足を運んだ。竹灯籠は自宅の健太さんの仏壇に供える。東日本大震災から5年となる3月11日には、女川町の支店跡近くの高台に建つ慰霊花壇前に置くつもりだ。
 弘美さんらと語り部を続ける孝行さん。「あらためて命の重さを感じた。悲劇が繰り返されないよう未来を担う若者らに命の大切さを伝えていく」。覚悟が一段と強まった。(石巻総局・水野良将)


2016年01月18日月曜日


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