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<3・11あの日と今>針が語る被災の瞬間

収集した時計を確認する門馬さん(左)とPTメンバーで学芸員の三瓶秀文さん。手前は津波被災を受けた時計=14日、会津若松市の福島県立博物館
停電で止まった美容室の時計を保存するPTのメンバー=2014年12月、福島県富岡町(富岡町提供)

 東日本大震災と福島第1原発事故の後、鎮魂の祈りや再生への願いを胸に歩んできた5年近い日々。一人一人のさまざまな思いを刻む形ある物が、被災に向き合うことの意味をあらためて問い掛けてくる。

◎思い刻む(1)/福島県富岡町歴史・文化等保存プロジェクトチーム

 原発事故避難区域にある壁掛け時計は、午後2時46分近くで止まっていた。
 東京電力福島第1原発事故で全町避難が続く福島県富岡町。13日、町職員が赤木地区の集会所の扉を開けた。室内は鏡が割れて散乱し、時を止めたままの時計がもうすぐ5年になる空白の時を浮かび上がらせた。
 「揺れで電池が外れ、動かなくなったのでしょう」
 町職員がそっと取り外す。町が保存した時計はこれで5個になった。

 町職員でつくる「歴史・文化等保存プロジェクトチーム(PT)」。地域の歩みを伝える文書や歴史的災害を物語る震災遺産の収集を進める。あくまで時計は資料の一つだが、幾つも集めるのは理由がある。
 「似たような時刻で止まっていても、異なる意味を持つ」。PT設置を提案し中心的役割を担う学芸員の門馬健さん(32)が説く。
 「揺れ」で電池が外れた集会所の時計、「停電」で針を止めた理美容室の時計、「津波」を受けた薬局の時計−。いずれも撤去されずに残っていたのは、原子力災害で地域そのものが長い間放置されたためだ。
 「複合災害に被災したと一言で語られがちだが、それぞれの被災経験は違うということを、残された時計が示している」
 午後3時36分を指す泥まみれの壁掛け時計は、津波の到達時刻を物語る。
 第2波に近い時間帯ではないか−。昨年11月末、門馬さんが富岡駅前商店街の薬局前で偶然見つけ、処分寸前で保存した。
 2011年3月11日、いわき市小名浜で観測された津波の最大波は午後3時39分で第1波以降とみられる。泥まみれの時計の時刻と近い。門馬さんは「津波は第1波で終わらないという言い伝えを、この時計は語っている」と資料の持つ力を強調する。
 震災発生当時は福島の地元紙記者だった。大学で歴史学を研究。「自分の学問領域でどれだけ震災に立ち向かえるか、人生を懸けたい」と町職員に転職した。
 避難区域の資料が散逸し、地域の記憶と町民のアイデンティティーが失われると思うと堪えがたかった。
 PTメンバーは通常業務の傍ら、役場避難先の郡山市から富岡町に2時間以上かけて通い、被災家屋の解体前に懸命に物を集める。
 「子孫のため、震災の様相を伝える資料を一つでも多く残したい。第1原発と第2原発の間に挟まれた富岡だからこそ、強く発信し、警鐘を鳴らすことができる」と確信している。
 町の営みを見守り、行き交う住民らもいつも見ていた時計。人々の思いが刻まれ、震災前の記憶を呼び起こす。時計を含め収集した地域資料は2万点に迫る。多様な物を保存することが、連綿と先人が築いてきた地域を未来につなぐ。
 3月、震災後初めて町主催の企画展をいわき市で開く。地域の歩みを伝える資料や震災遺産を、多くの人に見てもらいたいと願う。
 災害の教訓を世界に発信することは、町民へのメッセージでもあると考える。「過去を踏まえ、震災と向き合って前へ進む。これが真の復興の道だと思う」(吉田尚史)


2016年01月24日日曜日

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