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<アーカイブ大震災>揺れ直後、陸の津波

藤沼ダムは崩落し、貯水湖(右奥)の水はほとんどが流出した=2011年3月12日午前、須賀川市長沼
藤沼ダムの決壊による泥流で倒壊した家屋=2011年3月12日午前、須賀川市長沼

 福島県須賀川市長沼の藤沼ダムは、2011年3月11日に決壊した。泥流が流域の家屋や田畑を襲い、7人が死亡、1人が行方不明になっている。土を盛り、コンクリートブロックで一部補強したかんがい用のダムは、過去最大級の地震エネルギーであっけなく崩れ落ちた。

◎その時 何が(5)ダム決壊(須賀川)

 「陸の津波」が、人と家をのみ込んだ。
 藤沼ダム下流約500メートルの滝地区。農業鈴木君代さん(75)は地震発生時、テレビにしがみついた。揺れが収まりかけたら、「ゴオー」と大きな音が鳴り響いた。
 「何かな、と玄関の方を振り向くと、あっという間に黒い泥水が入ってきた」。田畑を潤す農業用水が、鉄砲水となって襲ってきた。
 鈴木さんは腰の近くまで泥水に漬かり、居間の畳は浮き上がった。隣家や農業機械、スギの大木などが、濁流とともに鈴木さん方に次々と押し寄せた。
 「怖くて怖くて、何が起きたのか分からなかった」。居間のガラス戸に1時間以上つかまって水流と恐怖に耐えた。
 屋内は泥やがれきに埋まった。床下だけで、ダンプ5台分の泥をかき出した。
 「まだ片付けが残っている。ダムの決壊なんて考えもしなかった」と鈴木さんは漏らす。

 藤沼ダムは、土を台形状に盛った「アースフィル」というタイプ。1949年に完成した。
 須賀川市によると、3月11日、北東部にある高さ18メートル、長さ133メートルの堤が決壊。約150万トンの水が流出した。
 14歳の女子中学生を含む7人が死亡、いまだ1人の行方が分からない。家屋19戸が流失または全壊し、床上床下浸水は計55戸に及んだ。
 「堤の状況や住民の証言から、地震動で一気に崩れたのは間違いない」。東北大大学院工学研究科の風間聡教授(44)=水工学=らのグループは4、5月に計2回調査に入った。
 滝地区での調査では、高さ2メートル超の泥水が襲った痕跡を発見。水の力そのもの以上に、流木による破壊が激しかった。
 「沿岸部の津波被害と同じ状況だ。だが、津波と異なり、逃げる時間がない恐ろしさがある」と風間教授は言う。
 学術団体などで構成する「日本大ダム会議」によると、地震によるダム崩壊で死者が出たのは1930年以降、世界で報告例がないという。極めてまれな災害だ。

 ダム下流地域を襲った水は、田んぼや畑の土壌を流失させた。837ヘクタールの水田を潤していた藤沼ダムに現在、水はほとんどない。
 田植えの時期を迎えたが、田植えが終わったのは2割程度。周辺の河川から水を引いている。
 「夏場の水確保の見通しがなく、ことしのコメ作りを諦めた農家が多い。来年もどうなるか分からない」。藤沼ダムを管理する江花川沿岸土地改良区の安田勝男事務局長(64)はうなだれる。
 過去2度、福島県の補助事業として漏水防止を含むダム本体の補強工事が行われている。補強は十分だったのか、復元するのかどうか、具体的な調査は未定だ。県農林水産部は「行方不明者の捜索が優先」と言う。
 「早く直せ」「もうダムはやめてほしい」。地域の声は交錯する。「農業用水は必要だが、同じ場所には造れないだろう。複雑な思いだ」。安田さんの苦悩が続く。(片桐大介)=2011年5月18日河北新報
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 2011年3月11日の東日本大震災発生以来、河北新報社は、被災地東北の新聞社として多くの記事を伝えてきた。
 とりわけ震災が起きた年は、記者は混乱が続く中で情報をかき集め、災害の実相を明らかにするとともに、被害や避難対応などの検証を重ねた。
 中には、全容把握が難しかったり、対応の是非を考えあぐねたりしたテーマにもぶつかった。
 5年の節目に際し、一連の記事をあえて当時のままの形でまとめた。記事を読み返し、あの日に思いを致すことは、復興の歩みを促し、いまとこれからを生きる大きな助けとなるだろう。


2016年01月24日日曜日

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