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<3.11と今>友への祈りひと針に

刺し子を施した愛用の作務衣を広げ、亡き友人をしのぶ神尾さん=仙台市青葉区

◎思い刻む(3)家紋の刺し子 仙台市

 色あせた藍染めの生地に刺し子がずらりと並ぶ。家紋、「鎮魂」の文字など100余り。着古した作務衣(さむえ)は幾重にも糸が通され、ずしりと重い。
 仙台市青葉区の災害公営住宅で暮らす神尾正雄さん(79)。東日本大震災で犠牲になった友人の供養のため、愛用の作務衣に刺し子を施した。
 「自分にできるのは、こんなことしかないから」。ぽつりとつぶやく。
 震災で同市宮城野区の自宅マンションは全壊になった。このまま崩れ落ちるかと身をこわばらせた激震。皿や家具が宙を飛んだ。
 積み上げてきた平穏な暮らしを失った。娘を頼り、妻の公子さん(77)と埼玉に身を寄せた。
 出身は福島県相馬市。福島県の浜通りには知人が多い。新聞の震災犠牲者の欄にはよく知る名が毎日のように載った。
 「数えたくもなかった」名前は数十に上った。
 
 福島県南相馬市の原町区で40年ほど前、オートバイ販売店を経営していた。料理人として福島県いわき市や東京で勤めた後に、バイク好きが高じて開いた店だった。
 「お客さんには無事故、無違反で乗ってほしい」と乗り方を指導したり、学科教室を開いたり。4人の子を育てながら、公子さんと懸命に働いた。
 面倒見のよい夫婦を慕って、店には人が集まった。常連客とツーリングにも出掛けた。二輪免許試験の合格のお礼か、店先に白菜が置いてあったこともある。
 気の置けない仲間とにぎやかに過ごした日々は、テレビが消えるように不意に終わった。そんなに困っているなら、と引き受けた連帯保証人が神尾さん一家の人生を狂わせた。
 建てたばかりの家を手放し、逃げるように仙台へ。路地裏に小さな居酒屋を構えた。
 苦い記憶も織り交ぜつつ、浜通りの友人との交流は木綿の糸のように続いていた。
 震災の非情な知らせを掲載した新聞を握りつぶすように、埼玉から250ccのスクーターを飛ばした。変わり果てた福島の姿にたたきのめされた。

 せめて祈りをささげたい。趣味でかじっていた刺し子に没頭した。命を奪われた友人の家紋を図書館で調べ、夢中で針を動かした。
 「痛かったか、冷たかったか。悔しいな。安らかに眠ってくれ」
 骨の折れる作業も、懐かしい顔を心に浮かべると苦にならない。埼玉での4年半、刺し続けた。ひと針ひと針思いを込めて。
 「一日中部屋にこもりっきり。笑った顔なんて見られなかった」と公子さんは明かす。
 昨秋、仙台に戻った。落ち着いた生活を手にして気持ちが前を向いた。
 「暖かくなったら、この作務衣を着て(霊場の)恐山にお参りに行く」
 三陸沿岸をバイクで青森県の下北半島へと北上する慰霊の旅だ。大丈夫、心配は要らない。あいつらも一緒だから。(伊東由紀子)


2016年01月26日火曜日


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