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<浜を歩く>亡き仲間と約束 実現

高田貴浩さんが手にした獅子頭に地域住民が集まった=2日、南相馬市原町区雫

◎雫地区(南相馬市原町区)神楽30年ぶりに復活

<後継難で途絶>
 太鼓の音が正月の寒気を震わせる。獅子舞の動きが激しさを増す。周囲を取り囲むように、30人ほどの地域住民が見守る。どの顔も神妙だ。せきばらい一つ聞こえない。
 福島県南相馬市原町区雫(しどけ)地区の沿岸部にある津神社で2日、雫青年団が地元に伝わる雫神楽を奉納した。後継者不足から一度途絶え、約30年ぶりに復活したという。
 境内の片隅で見守っていた高野ミサオさん(86)に感想を聞いてみた。自宅は地区で唯一、東京電力福島第1原発事故による避難区域にあり、今も内陸部の仮設住宅で暮らしている。「懐かしい。昔を思い出すよ」。久しぶりの年中行事に、高野さんが言葉を詰まらせた。
 雫地区にはかつて小さな漁港があった。50年ほど前までは地引き網を引く光景も見られたという。1次産業の衰退は若年層の流出を招く。担い手を失った神楽が地域から消えたのも、仕方のないことだったのかもしれない。
 雫地区は全体の3分の1程度が東日本大震災の津波にのまれ、30戸近くが流失した。死者、行方不明者は25人。その一人が青年団メンバーの高田憲幸さん=当時(32)=だった。
 「いつか神楽を復活させような」。震災前、青年団長の高田貴浩さん(34)は憲幸さんと話し合っていたそうだ。約束を果たすべく、2013年秋から青年団仲間と道具準備や動作の習得に努めてきた。

<「一緒」に舞う>
 貴浩さんの担当は獅子頭。笛、太鼓の拍子に気を配らなければならない。肉体的な負担も大きい。「憲幸さんと一緒のつもりで舞いました。これからも地域の財産として神楽を守りたい」。奉納後、上気した顔は達成感に満ちていた。
 亡くなった憲幸さんの自宅は海沿いにあった。津波の直撃で残ったのは土台だけ。母親は今も行方が分からない。父の一男さん(69)が同市の内陸部で1人暮らしをしていると聞き、訪ねてみた。
 一男さんもかつては獅子頭を務めた経験者。「息子が伝統芸能に興味を持っていたなんて知らなかった。昔の話をした記憶もないんだけどな」。神楽復活についての生前の約束は貴浩さんに教えてもらったそうだ。
 震災後、浜沿いにあった先祖代々の墓を内陸に移した。「もう津波の危険は味わわせたくないんです」。憲幸さんもそこに眠らせているという。
 雫地区から離れたとはいえ、震災後も津神社へのお参りは欠かさない。「あらためて祈願することもないんだけどね」と一男さん。もらってきたお札を神棚に供え、ことし1年の無事を祈った。(南相馬支局・斎藤秀之)


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2016年01月26日火曜日


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