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<鉄平>楽天での8年 野球人生のほぼ全て

2009年、3割2分7厘で首位打者となった鉄平=Kスタ宮城

 東北楽天の元主力選手、鉄平外野手(33)=本名・土谷鉄平=が、15年間の選手生活に終止符を打った。全盛期の2009年にパ・リーグ首位打者に輝き、低迷が続いた創設期のチームを初の2位に導いた。「東北楽天での8年間が野球人生のほぼ全て。大切な時間だった」と、東北への思いを真っ先に口にした。
 「ジェットコースターとも言える浮き沈み、落差があった」。天才打者と言われた人らしく、独特の表現でプロ生活を述懐する。
 「土台づくりの時期だった」という中日での5季を経て、東北楽天に移籍した06年、いきなり打率3割を記録して頭角を現した。
 「トレードに出したかいがあった」。同年の交流戦で中日時代の恩師、落合博満監督に褒められた言葉を糧に、07、08年と実績を重ねた。
 「指導者、仲間、体調、運気、全てに恵まれた最高の年」。ピークに達したのが09年だ。チームとして初進出したクライマックスシリーズで3番打者として活躍、オフに年俸は1億円を突破した。10年も2年連続の打率3割をマークした。
 だが、東日本大震災発生の11年から急降下した。初代主将に就任した重圧に、低反発で飛ばない「統一球」が公式戦に導入されたことも重なり、打撃不振に陥った。初の日本一に沸いた13年は不調で日本シリーズに出られず、ハワイへの優勝旅行から帰国後、程なくオリックスへ放出された。
 2季目の15年夏、左臀部(でんぶ)の筋挫傷で選手生命の危機に陥る。「全力で走れなくなった。尻は全てのプレーでエンジンの役割をする筋肉。痛恨だった」。秋に戦力外となった後も完全な状態には戻らなかった。2月のキャンプ目前まで他球団からの誘いを待ったが、なかった。
 「やっとジェットコースターから地面に戻れた」。未練よりも解き放たれた安堵(あんど)感が強い。今後は「東北に何かの形で恩返ししたい」。第二の古里に戻りたいと考えている。(金野正之)


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2016年01月27日水曜日


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