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<多賀城跡>鎮守府示す木簡が出土

出土した文書箱のふたを赤外線テレビカメラで撮影した写真。「府符□郡司□」と判読された

 宮城県多賀城市の国特別史跡多賀城跡の発掘調査をしている宮城県多賀城跡調査研究所は4日、政庁南の城前地区で、鎮守府を示す「府」と書かれた奈良時代後半の文書箱(もんじょばこ)のふたなどの木簡が出土したと発表した。中央政府が奈良時代に国府とともに蝦夷(えみし)を治めるために置いた鎮守府の存在が、同時代の史料で裏付けられた。
 書箱が見つかった場所は、政庁から約120メートル南。当時の正門「南門」に通じる南大路の東側にある城前地区の実務官衙(かんが=役所)のごみ捨て場跡から出土した。
 文字が書かれたふたは長さ32.1センチ、幅5.7センチ、厚さ1.7センチ。「府符□(諸?)郡司□」と書かれ、「府、諸郡司に符す」と読めるという。「符」は上から下へ指令を伝える文書で使われる語句であることから、鎮守府が各地の郡の役人(郡司)に命令を出した文書を収めた箱とみられる。
 奈良時代の多賀城に鎮守府が置かれたことは「続日本紀」などの記録にあるが、同時代の史料で存在が確認されたのは初めて。多賀城ではこれまで実務官衙跡が数カ所見つかっているが、鎮守府の文書を扱うなど実務官衙の具体的な業務も今回初めて判明した。
 多賀城の調査研究に長年携わる平川南・元国立歴史民俗博物館長は「文書事務が行われた場所の近くに、鎮守府も置かれたとみていい。半世紀の多賀城研究の大きな課題の一つだった、鎮守府の所在地の特定に近づく発見だ」と話した。


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2016年02月05日金曜日

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