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<アーカイブ大震災>頼みの綱 命運分ける

3月11日の地震で倒れた防災無線アンテナ。赤さびによる腐食が目立つ=2011年4月、宮城県山元町役場
聞き取りした10カ所の防災無線の子局

 津波で730人を超える死者・行方不明者が出た宮城県山元町。「防災無線が聞こえなかった」という住民の声がたびたび報道された。なぜ、町の防災無線が十分に役目を果たせなかったのか。機器故障によるとみられるが、真相は今もはっきりしない。

◎その時 何が(17)防災無線「聞こえなかった」(宮城・山元町)

 2011年3月11日、激しい揺れに襲われた山元町役場では、防災担当の総務課職員が2階の電話交換室に駆け込もうとした。
 中には防災無線を操作する親機がある。職員は言う。「スチール棚が倒れ、交換室のドアが開かず入れなかった」
 余震で庁舎内が危険になったため、職員は親機の操作を諦め、役場前庭に避難する。町災害対策本部によると、結局、津波襲来まで親機を操作することはできなかった。
 大混乱に陥る中、役場と共に緊急時の無線放送を担当する亘理消防署(宮城県亘理町)は、役場と結んだ有線回線を使って、遠隔操作で山元町内に無線放送を流した。
 同署の記録によると、午後2時46分の地震直後、地震の発生を知らせ注意を促す放送を開始。大津波警報が発令された同49分からは警戒を呼び掛けた。3時25分には町からの要請で、避難指示の放送に切り替えた。
 町内には51カ所の屋外受信局(子局)に拡声器がある。場所によって聞こえた人と聞こえなかった人がいたようだ。

 「地震に驚いて近所の数人が屋外に出たが、防災無線が鳴らないので話題になった」。JR常磐線山下駅の北西側にある子局の近くに住む無職男性(75)は振り返る。
 同じころ、別の子局の放送を聞いた人もいる。
 町体育文化センターの前にいたという女性は「『至急高台に避難してください』と、何度も警告していた。あの放送を聞いたら、避難しない方がおかしい」と話す。
 51カ所の子局のうち10カ所について、震災時に自宅周辺にいた住民に放送が聞こえたかどうかを尋ねた。「放送があった」と答えた人がいたのは西牛橋、浅生原、町体育文化センターの3カ所=カラー図=。残る7カ所周辺では「聞こえた」という住民を見つけることができなかった。
 実はこの時、役場庁舎屋上の望楼に立ち、電波を送る防災無線アンテナは根元から折れ、望楼から宙づりになっていた。
 町は「役場から遠い場所で防災無線の音が残っている映像もある。アンテナは倒れたがケーブルはつながっており、無線電波は出ていたはず」(町災害対策本部)と説明する。だが、子局全てに正常に電波が届いていたかどうかは不明だ。

 町内での死者は5月29日現在671人で、うち町民は555人。「防災無線が聞こえなかった」と証言する人が多かった山下駅周辺の花釜地区では、地区住民3076人のうち137人が犠牲になった。
 津波襲来の直前、町は広報車4台に職員11人を分乗させ、大津波警報の広報に当たった。2台が津波にのまれ4人が殉職した。町災害対策本部は「防災計画マニュアルに従った活動。防災無線が操作できなかったから広報車を出したわけではない」と語る。
 「町が役場庁舎からサイレンを町全体に鳴らせば、それだけで事態は変わったはずだ」。今もそう悔しがる住民がいる。
 町は屋上に仮設のアンテナを設置し、防災無線を仮復旧させた。今は、津波などで壊れた17カ所を除く34カ所の子局で放送を流している。(小島直広)=2011年6月2日河北新報
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 2011年3月11日の東日本大震災発生以来、河北新報社は、被災地東北の新聞社として多くの記事を伝えてきた。
 とりわけ震災が起きた年は、記者は混乱が続く中で情報をかき集め、災害の実相を明らかにするとともに、被害や避難対応などの検証を重ねた。
 中には、全容把握が難しかったり、対応の是非を考えあぐねたりしたテーマにもぶつかった。
 5年の節目に際し、一連の記事をあえて当時のままの形でまとめた。記事を読み返し、あの日に思いを致すことは、復興の歩みを促し、いまとこれからを生きる大きな助けとなるだろう。


2016年02月05日金曜日


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