宮城のニュース

小唄で踊って粋な別れ 釜石最後の芸者しのぶ

伊藤さんの遺影の前で、参加者が「釜石小唄」に合わせて踊った

 「釜石最後の芸者」と呼ばれ、1月6日に89歳で亡くなった岩手県釜石市の伊藤艶子(芸名藤間千雅乃)さんをしのぶ会が6日、同市の老舗料亭「幸楼」で開かれた。度重なる津波被害、太平洋戦争末期の艦砲射撃、釜石製鉄所の盛衰…。まちの歴史と共に歩んだ伊藤さんが上がったお座敷で、約60人が思い出を語り合った。
 1926年生まれの伊藤さんは、14歳ごろに幸楼で活動を始めた。釜石が製鉄と水産で栄えた最盛期には、40人以上の芸者がいたという。幸楼のおかみ金沢世津子さん(78)は「三味線も踊りもどんなリクエストにも応えていた。芸事一筋でお客さんに愛された人だった」と振り返った。
 東日本大震災で自宅と大事な三味線、着物を失った。東京の芸者から三味線を贈られ、仮設住宅で暮らしながら現役を続けた。
 2013年には避難の大切さを説く「スタコラ音頭」の曲と振り付けを考案し、普及に努めた。ことし1月にあった市内のライブ施設完成イベントにも出演する予定だった。
 震災後、伊藤さんから代表曲「釜石浜唄」の指導を受けた岩手県矢巾町の民謡舞踊家吉田成美さん(22)は「厳しく、優しく教えてもらった。まだまだ習いたいことはいっぱいあったが、教えを忘れずに釜石浜唄を伝えていきたい」と声を詰まらせた。
 しのぶ会では最後に参加者が輪を作り、伊藤さんが得意とした「釜石小唄」に合わせて踊った。おいの伊藤哲さん(68)は「想像以上に多くの人に影響を与え、輝いていたことが分かった」と感慨深げに話した。


関連ページ: 宮城 社会

2016年02月07日日曜日


先頭に戻る