福島のニュース

<飯舘村比曽から問う>花栽培に希望託す

自宅前のハウスを点検する菅野啓一さん。トルコキキョウの栽培再開を計画する=1月中旬、福島県飯舘村比曽

◎帰還への道なお遠く(4)生活再建を懸け

<農地荒らされる>
 「田んぼ(の稲作)は諦めている。風評がどうだという前に、これではな」
 先月初め、福島県飯舘村比曽の小盆地は厳寒と薄雪に包まれ、福島第1原発事故による全住民避難の里のわびしさが増した。菅野啓一さん(61)は、自宅の荒れ果てた水田を指さす。
 避難先の福島市内のアパートから通い、草刈りなど農地の維持管理は怠っていない。しかし、水田の土はでこぼこに掘り返され、くぼみの深さは30センチもある。
 イノシシがミミズなどの餌をあさった跡だ。人の姿がなくなった飯舘村で数を増し、縄張りを広げたのがイノシシとサル。他地区でも深刻な問題になった。
 啓一さんの水田にはまだ除染の順番が回ってこないが、「イノシシは汚染土をくぼみの底までかき混ぜている。深さ5センチまで土を剥ぎ取る環境省の方法では、でこぼこを重機で平らにならしても取り切れない」。
当分は収入なし
 啓一さんは原発事故前、稲作と和牛繁殖、花の栽培を手掛けた。事故を挟んで2012年3月まで8年間、比曽の行政区長を務め、帰還の道を模索している農業菅野義人さん(63)は地域づくりの仲間だ。
 義人さんと共に帰還を志し、「手塩に掛けた皆の財産を取り戻したい。そのために、できることを何でもやる」と地区の放射線量測定やソバの栽培試験、自前の除染実験にも挑んだ。
 築28年になる家も、帰還に備えて改築した。「(来年3月が期限の)避難指示解除後は税や医療費などの減免、賠償や補償もなくなる。当分無収入を覚悟だ。村の『見守り隊』(住民の巡回活動)に代わる臨時雇用事業も要望しながら、生業の再建を準備しないと」
 不安が残る農地の利用では、まずトルコキキョウの栽培を再開する。「標高600メートルの比曽の気候に合い、発色が良かった。9年の経験がある」。守ってきた10棟のハウスのビニールを昨年秋に外した。土を空気にさらし春には耕起する。

<除染実験続ける>
 家の裏に居久根があり、「おやじが杉を植え、家を建てた時、俺が一本一本を切って材料にした。居久根は次世代に渡す財産だ」。12年9月にはそれらの木々の枝を独力で払い、小型重機で林床の土を剥ぎ、放射線量を減らす実験をした。
 居久根の端に自宅と並んで、同じ杉材で造られた小屋が立つ。汚染されていない土で内側の壁を覆い、中で放射線を常時測定する。
 居久根からの放射線を土で遮り、帰還後の安全な住まい方を工夫するための実験施設だ。村民の生活再開を支援するNPO法人「ふくしま再生の会」(田尾陽一理事長)が啓一さんに提案し、昨年秋に建てた。
 「居久根の検証除染も続け、あらゆるデータを集める。避難指示解除を迫られる1年、帰還者が安心できる暮らしと生業の場の回復を政府と村に訴えていく」


2016年02月07日日曜日

先頭に戻る