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<飯舘村比曽から問う>異郷で学び貢献を

牛舎で子牛にミルクを与える菅野義樹さん(左端)と、見守る美枝子さんら家族=1月中旬、北海道栗山町

◎帰還への道なお遠く(5完)新しい芽は育つ

<支援事業に応募>
 日差しを通すパイプハウスの牛舎に、前夜生まれたばかりの子牛の鳴き声が響く。
 菅野義樹さん(37)が子牛を抱えて体重計に乗った。「35キロあるよ」と記録係の妻美枝子さん(42)。「メスでは大きい方だ」と義樹さんの顔がほころぶ。早くもミルクをたっぷり飲む。
 1月中旬、新千歳空港に近い北海道栗山町。2011年3月の福島第1原発事故の後、実家のある福島県飯舘村から避難した夫妻は、共に大学生活を送った北海道を新天地に選んだ。
 牛舎2棟など新しい施設が、夏は牧草地になる雪原に立っている。避難先での営農再開を支援する飯舘村の事業に応募し、昨年9月に親牛25頭を飼い始め、生まれた子牛が6頭。家族も増えた。北海道生まれの4歳の長女葵ちゃん、1歳の長男義暁ちゃんは牛舎で子牛を見るのが大好きだ。
 牛舎からは広々とした農地が臨め、遠く夕張山地が地平線を縁取る。「まるで比曽のような風景だな」。昨年、訪ねてきた飯舘村出身の若い仲間が言った。

<葛藤し挑戦決断>
 北海道に移った当初、義樹さんの心境は複雑だった。「自分を育ててくれた農村の文化が壊された喪失感や、遠く離れてよかったのかという葛藤に苦しんだ」
 父は連載で紹介した農家菅野義人さん(63)。仲間の菅野啓一さん(61)らと比曽に通い、帰還と地域再生を模索していた。「村に必要なのは人の力。俺は長男の務めを果たせないのに、おやじたちだけを頑張らせていいのか」と焦った。
 戻りたいとの思いと現実との間で揺れたが、避難を受け入れてくれた町で野菜作りの研修を1年間経験し決心が固まる。「やはり小さい時からおやじを手伝った和牛をやりたい。まず自分の生活から再建しよう」
 異郷での挑戦は自己負担も背負わせる。「でも、動くことで違う未来の景色、飯舘の良さが見えてきた。失いかけた人生を取り戻している最中だ」と言う。

<農家「支え合う」>
 いま、牛の餌にする牧草はチモシーという栄養に優れた寒冷地種。福島での栽培は少なく高値だ。ここでは2割のコストで作れる。「おやじが昔、試しに種をまいていた。標高600メートルの比曽なら合うと思う」
 栗山町は麦の生産量も多い。麦わらは牛舎の敷わらに適し、牛の堆肥との交換で栽培農家からもらえる。牛ふんと交じった麦わらもいい堆肥になり、農地を肥やす。「ここには農家が支え合う循環がある。飯舘村の将来の農業に生かせるヒントになるのではないか」
 義人さんらは比曽で生活環境のより安全な除染を訴え、農地再生に苦闘する。「次世代に手渡す責任がある」との思いからだ。「10〜15年かけてやっていこうと、おやじと話し合っている。いまは家族と栗山町で生きて技術を身につけ、復興に貢献できる人材になって村に帰る」と義樹さん。新しい芽が育っている。(編集委員・寺島英弥)


2016年02月08日月曜日

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