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<震災4年11カ月>変わる街 変わらぬ思い

「お父さん、今日はチョコ持ってきたよ」。南三陸消防署の跡地の片隅で、静かに祈る遺族たち。BRTの駅となり、被災当時を感じさせるものはない=11日、宮城県南三陸町

 東日本大震災で全壊した宮城県南三陸町の南三陸消防署の跡地で、死亡・行方不明になった消防士の遺族が月命日に祈りをささげ続けている。建物が解体されて新たな施設ができ、仮設消防署に慰霊碑が建っても、大切な人がいた場所に足が向く。11日で震災から4年11カ月。変わりゆく街に、変わらない思いがある。
 JR気仙沼線バス高速輸送システム(BRT)が発着する志津川駅の片隅に、目立たない簡素な祈りの場がある。11日、喪服の女性たちが集まった。
 「ココア、温かいよ」。コンクリートブロックの周辺に花や団子、飲み物などを供え、手を合わせた。もうすぐバレンタインデー。愛する夫や息子へのチョコレートも忘れなかった。
 海から約1.5キロ離れたこの地に南三陸消防署があった。気仙沼・本吉地域広域消防本部は職員10人が殉職。ほとんどが南三陸消防署内や、その周辺で活動中、津波に遭った。
 全壊した署の建物が2012年に解体されると、祭壇も撤去された。祈りの場を失った遺族は、敷地内に残っていた鉄塔の土台部分の近くでほそぼそと花を手向けるようになった。
 14年に町内の仮設消防署に慰霊碑が建立されてからも、「家族を感じられる」とまず最初に立ち寄る。
 佐藤せつ子さん(60)は夫武敏さん=当時(56)=を亡くした。消防署隣の宮城県合同庁舎に勤務していたせつ子さん。あの日の朝、夕方から仙台市内に一緒に出掛ける約束をして別れた。「最後に会った場所」につながりを求める。
 跡地はBRTの駅に変わった。隣は仮設商店街になった。復興の歩みとともに街の記憶は上書きされていく。
 「消防署があったことが分からなくなるのが悔しい」と、夫を亡くした女性(58)は消防車や救急車のおもちゃを置いている。
 「モノは壊れたら元通りにできるが、亡くなった人は戻らない。心の復興はまだできていない」と心境を明かす。「そばにいたのが昨日のことのよう。私たちは忘れることはない」


2016年02月12日金曜日

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