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<いのちの伝言>被災地思い絆強める

台湾南部の地震を受けて募金を呼び掛ける小野さん(右)ら=7日、名取市閖上のゆりあげ港朝市

◎娘が愛した台湾へ(下)遺志を継ぐ

●震災で留学決意
 送愛到台湾(台湾に愛を送ろう)−。
 台湾南部で6日起きた地震を受け、小学校教諭小野幸三さん(56)=宮城県名取市閖上地区=は7日、プラカードを持って早速、ゆりあげ港朝市に立った。「娘が生きていたら支援に動いたはず」。有志の仲間と一緒に台湾への募金を呼び掛けた。
 台湾政治大に留学した長女愛さん=当時(20)=は昨年3月、住んでいたアパートで起きた一酸化炭素中毒事故で亡くなった。台湾から東日本大震災被災地への支援に感謝するイベント「日台・心の絆 謝謝台湾」で、愛さんは生前、実行委員を務めていた。
 留学したのも震災がきっかけだった。古里の閖上は津波で壊滅的被害を受けた。愛さんの自宅は内陸寄りで無事だったが、親しい人が多数犠牲になった。
 仙台二華高3年の時、家族に宛てた手紙には、閖上中の吹奏楽部の後輩を亡くした苦悩をつづった。

 <震災後、もう正直よく分からなくなった。14歳で死ぬなんて何が残るんだろう。何で生きるんだろう>

 命の意味をあらためて見詰めた愛さんは、ずっとあこがれを抱いていた台湾に留学する決意を記した。

 <どうしてもこれを実現したい。後悔はしない>

 留学後も被災地を思い続けた。謝謝台湾実行委員として日本と台湾を何度も往復。2014年3月には台湾でのイベント後、仲間と閖上を訪れて「日台絆シート」を届けた。そこには、台湾の人々が折った無数の折り鶴と「日本加油(頑張れ)」の文字があった。
 「台湾との絆が強くなっていくことを、娘は誰よりもうれしく思っていた」と小野さんは振り返る。

●安全な社会願う
 愛さんが亡くなった当時、台湾では日本人女性の事故死に強い関心が集まった。小野さんが遺体安置所に行くと報道カメラが群がり、無遠慮な質問が飛んだ。事実とは異なる情報を流すメディアもあった。
 小野さんは事故の1週間後、台湾政治大の了解を得て講義室に立ち、ジャーナリストなどを目指す学生らに呼び掛けた。「真実を伝えてほしい。遺族の心情を理解してほしい。そしてどうか、安全な社会を築いてほしい」。娘の死が、少しでも台湾社会を良くする力になることを願った。

●葛藤抱えて活動
 あれから間もなく1年。「心のとげは今も抜けない。それは、5年が経過した震災の遺族も同じかもしれません」とつぶやく。
 小野さんは葛藤を抱えながら地道に活動を続ける。閖上の現状を伝える「閖上復興だより」を編集したり、子どもたちの防災教育に取り組んだり。立ち止まると苦しいから歩き続ける。
 5回目となる謝謝台湾は、偶然にも愛さんの命日の3月6日に重なった。小野さんは愛さんが残した実行委員のTシャツを着て参加する。胸には、日本と台湾がハートマークで結ばれたデザイン。思いはきっと伝わると信じている。


2016年02月14日日曜日


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